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サンドされたシャキシャキ言葉たち


栞の言うことにゃ(仮)


「ことばは、自由だ。」
挟んだ栞にはこう書いてある。読みかけの本からひょいと覗ける、この二文字にふと目を留めた。そして少しだけ考えた、果たしてことばって自由なのかしら。

至言であるともとれるし大事な何かが抜け落ちてしまっているのではないかとも思えなくも無い。
僕がこの言葉を目にして最初に考えたのは、これを誰が考えたのだろうということだった。
コピーライターが考えたのか出版社の広報の人なのかよくわからない。
「ことばは、自由だ。」という言葉を実際にこの栞に印刷するまでに幾らかの不自由があったんじゃないかなと意地悪にも思ってしまったのだ。
上からの許可が降りずに、何度もリトライを重ねてのことだったかもしれないし、ことばを言葉と漢字表記にするのか、ことばの後に句読点をうつかどうか等、幾つも変更を重ねたかもしれない。
却下するばっかりで代替案はなし、、うんざりするぜ!なんて言いながらやけっぱちだったかもしれないし、担当者は二日酔いだったかもしれない。「言葉は自由」ということを考えつくに至るまで実生活での不自由が、ある臨界点に達して、言葉は自由でいいよなあと半ば自暴自棄になって吐き出されたのかもしれない。
逆に決定権を持つ者が一人で勝手に「ことばは、自由だ。にすることにする!俺ってばなんでこうもいい事を思いつくことができるんだろうか、なあお前たちもそう思うだろ?」部下は追従笑い、、なんて事もあるかもしれない(多分ない)
納期がありいついつ迄には印刷しないといけなくて、、。
「言うだけタダ」とはよく言ったもので言葉を紡ぐのは自由なのだろうが、それから先はまた別で、世の中のあれこれの煩雑に巻き込まれるということなんだろうか。
そうなるとやっぱり栞に書いてある通り、ことば自体は自由であるのかもしれない。

もう一つ。
「一冊の充足感 一滴の清涼感」
ちょっと何の事だか分かりづらい。
目薬スマイルとある。ああ目薬ね。
なるほど。本の読みすぎで、疲れた目に当社の目薬如何ですかなと言う事らしい。
75年ごろに発刊された古本に挟まっていた栞だから、ちょっこし今とは感覚が違う。今なら本の読みすぎで目を悪くするより、圧倒的にパソコン、携帯電話で悪くする人のが多いだろうから。





追記

30.40年前の栞は怪しげな広告もあったりして面白いです
コピーライターという職業が現れたのがそのあたりみたいで、日本の広告業における転換期でもあったのかも。
今では面白い栞広告に出会うことは殆どないなあ。

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