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めくってしまえ金色の日々

めくれる金色の日々(仮)

酔っ払いながらほぼ回らない頭で買ってきたカップラーメンには手をつけず、冷蔵庫に入れたままだったビールと手付かずのスナック菓子で、お腹のわずかな隙間を埋めてしまう。
もう一缶、のっぽのがあるなあ、でもどうしようかな、なんて考えていると大きな眠気がやってきて、寝床にごろん。それが昨夜。

今は近所のスーパーマーケット、お昼。
昨日無駄に買ってしまったラーメンをそのまま昼飯に流用しようとしたけれど、もう少し何か欲しいということでやって来た、スーパー。
この街に何店舗もある、ここらではスタンダードなスーパー、「昔ながらのコロッケ」というコロッケが売っている。美味しいけれど今日はそんな気分じゃないから、コロッケの前を颯爽と通り過ぎる。
昨夜のお酒は殆ど残っていなくて、それなりに呑んだ次の日にしては体が軽いから颯爽とコロッケを通り越すことができた。
なんだかさっぱりしたものが食べたい、そんな気分。

「サラダ菜」ちぎってサラダにしてまるまる一つ食べれる、ちょうどいい量だ、これにしよう。
サラダ菜なんて大層な名前をつけられてしまったものだなあと、サラダ菜然とした野菜なんか幾らでもあるし、きっと本人もそれが一番わかっていると思う。
生産者の余りにも大きい期待が名に現れている。かなりプレッシャーがかかっていることだろう。僕が野菜に生まれ変わったとして、「サラダ菜」なんて名前をつけられるなんてまっぴら、絶対嫌だな。人間に食われる前提の、だってサラダって料理名でしょう?、カレーに適した人参を「カレー人参」、肉じゃがに適したじゃがいもだから、「肉じゃがじゃがいも」そんなのあんまりだ。それに、大先輩であるレタスやキャベツさんからの視線が怖い、「へえ、君があのサラダ菜くんかあ」なんて。
と、不憫な野菜を小脇にかかえながら、安売りされている鳥ささみをとってスーパーを出る。

「ほぐし身」って不気味な言葉だなと思う。
怖い。電子レンジで加熱した鳥をほぐしながらそう思う。ほぐしすぎなのである。
「緊張をほぐす」だとか、「肩をほぐすストレッチ」だとかいうけれど、鳥のほぐし身はバラバラというか、ぐちゃぐちゃというか、怖い。それをほぐした身としているのが恐ろしい。決して言い方としては間違ってはないのだろうけれど。
恐怖のほぐし身を、期待の新人のサラダ菜にの上に乗っけて素敵なサラダの完成。サラダ菜のサラダ。それとラーメン。そんなお昼。

食材を買い出しに行く前にシャワーを浴びようと思ったけど、やめにしたのは、食った後に湯屋にでも行こうと判断したためなんだけど、お腹がいっぱいになるとだんだん腰が重たくなってきて、そばにあった本を読んでいるうちに眠くなってきちゃった。
アルコール中毒者が病院にいれられる有名なお話。お酒は怖い。ほどほどにしなくちゃ。
結局シャワーですませて、練習スタジオへ向かう。いちおう今夜はバーで歌う予定がある。


最寄りの駅からバーまでの道すがら缶ビールをあげながら、これから呑むお酒について考えてみる。缶でなく瓶に入ったそれのことを。
自分は体質的に酒に強くないのだから程々にしなくちゃいけない。
すっかり暗くなった空を見上げる。星は見えない。駅から離れていく毎に歩く人はまばらになる。僕を追い抜いて行ったスーツを着た男性もお酒片手に歩いていた。
今はゴールデンウィークの只中、彼は金色の日々を銀の缶を持ってくぐりぬけている。僕はそれを見て折り紙を思い出した。
将棋の飛車と角のように、阿吽像のように、あいつらずっと一緒にいそうだな、なんて昔、思っていた。他の折り紙より特別感があって、それをどちらも自覚していて、折り紙の束の一番後ろにいた気がする(たぶん)それがなんとなく気に入らなくて避けた時すらあった。はじめに取り合いになるのは金と銀だ。
日々、何色でも、なんでもいいよ。

僕は大股で夜のコンクリートを踏み抜いた。
ぽんぴろぴん。

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