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プンスカ街道を一人ゆく


「昨日どこそこで、歩いている姿みたよ」
「このあいだ、○○に居たでしょ?」

だしぬけに、こう言われてしまうと、えもいわれぬ不安感に苛まれる。その時の僕の様相はどんなだっただろう、大丈夫であったろうかと冷や汗をかき「そうだったかなあ、その辺にいたかしらん」と適当に誤魔化したりもする。そんなの意味ないのに。
街で歩いているのを見かけたけれど、あなた怖い顔してたよと言われたことが何度もある。それを見て笑っちゃったなんて言われたことすらある。
そうなのだ、僕は1人で歩いている時に知らずのうちに顔が険しくなってしまっているのだ。急に街角で知り合いとばったり鉢合わせたときに、顔が綻ぶのを感じ、これまで表情が固く結ばれていたのだと、そこではじめて気がつく、なんてことがよくある。
本を読んだりだとか作業にあたるときも、心を集めると、しかめっつらになってしまう(らしい)
まあ、ある程度真剣になれば表情がひきしまるのは誰でもあるとしても、歩いている時くらいは自然でいたい。、、と思ったものの、歩く時って、みんな一体どんな表情なのかしら、どういった表情が適切なんだろうかといことが今度は気になりだした。
複数人で歩いていたならば、会話の流れに沿って自然に表情を移調すればよいのだろうが、問題は独歩の場合で、笑っていたら薄気味悪いし、しかめっつらも威圧的で好ましくない、ならば無表情で、、、と思ってみたものの、この無表情というのが難しい。
そもそも無表情とはなんでしょ、、目鼻口眉毛を持ち場に戻らせれば無表情ができあがるのかしら。証明写真を撮影するときの顔は無表情とはいえないだろうと僕は思っている。無という意味では寝ている時なんかはその極致ともいえるかもしれないが寝顔が無表情ともいわれると、、やっぱり目を開けてないと、、では、目を開けながら寝ている人は無表情で寝ているのに当たるのかと言われると、、うーむ。
感情を押し留めた表情と言われると、歩く時に感情を押し込めるなんて、なんだか間違いのような気がしてならない、、では歩く時には無表情でなくて一体どんな表情でいるのが適切なのかしらと、、、堂々巡りだ。
口内の舌の置き所のようなもので、意識してしまうとかえってよくないかもしれない。
僕の場合、この今書いている文章のような事を歩きながら考えてることが多い。くだらない事だ。
けれどそれがとっかかりとなって、盛り上がってしまいどんどん頭の中の奥へ奥へと迷い込んでしまうのだ、そうなると顔が険しくなるのだろう、、と自分はそう考えている。
歩く時に歌詞を思いつくことや、創作の種が発芽する事が少なくないからこれをやめろと言われたってなかなかできることではなく、まあやめるべきことでもないかなと楽観的にそう思っている節もある。
(段々と言い訳がましくなってきているのもわかっている、、、ありゃあ)

僕を街で見かけた人は、どんな僕を見たのだろう。考えれば考えるほどに胸が詰まって憂慮してしまう。一人で歩いているところをなるだけ誰にも見られたくないのである。
できることなら土の中を移動したい。
一人で街を行く際に思わぬ人に出くわすのが、何となく苦手なのだ。

だからなるだけ誰にも気づかれずに移動を遂行したい。


僕とおんなじような人いないかしら。

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