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接客系イベントは主人と奴隷の関係を乗り越えられるか


注意書き

VRChatの接客系イベントについて

主人と奴隷の弁証法

VRChatに主人と奴隷の弁証法をつっこんでみる

最後に

  • 注意書き

※この記事は著者が思いつきと偏見で書いたもので、VRChatの接客系イベントとそのキャストさんたちを批判する意図はありません。




いやほんと、そんなつもりありませんからね?



私のただの妄想を垂れ流してるだけですからね?



  • VRChatの接客系イベントについて

えーと、まずなにから話しましょうか。

とりあえずVRChatの接客系イベントについて話しますね。

VRChatにはたくさんの接客系イベントがあります。そしてどのイベントも人気で、毎回激しいjoin戦争,リクイン戦争が繰り広げられているイベントもあります。

そういった競争倍率の高いイベントに行こうと思うと、イベント開始前にSocial欄を開いて、1秒でも早くjoinボタンを押せるよう、今か今かと待ち侘びたり、VRChatが出来るだけ軽くなるように環境設定をしたりする必要があります。なかにはイベントのために回線を強くしたり、PCを新調する人もいます。まあそれはイベントに行きたくてやってることですし、私自身もそういうことをしているので別に問題はありません。

自分が参加したくて参加しているとはいえ、毎回毎回、イベント定員の何倍もの数の人々が、大挙してjoin戦争、リクイン戦争を甘んじて受け入れ、勤しんでいる。人気や知名度が低いイベントの場合は、定員を充たそうと、宣伝広告を行い、参加者がリピーターになるよう内面的な部分で必死になる。しかし、大人気イベントの場合、客側は一方的にjoin戦争に晒され、キャスト側は一方的に客を待ち構えているという構図が生まれる。人気が人気を呼び、客は勝手に増えていくため、ただ門戸を開けておくだけで事足りるようになる。

  • 主人と奴隷の弁証法

ここで、イベントキャストを主人、参加者を奴隷と捉えてみると、ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法によく似た関係に見えてくる。主人と奴隷の弁証法とは、ヘーゲルの『精神現象学』で展開される、人間の承認に関する議論だ。ヘーゲルは人間の承認を「お互いに承認し合う」とは考えていない。承認とは生死を賭した闘争だと論じている。人間には根源的に自立性があると共に、承認欲求も存在する。自立した相手に承認を求めても、相手に自分を否定される可能性がある。その恐怖から人間は、自分を承認させるために相手を服従しようとする。お互いが相手を服従しようとすることによって、生死を賭した闘争が生まれるとヘーゲルは論じた。そして、この闘争のなかで、敗者は死ぬか、相手に屈服して奴隷となり、勝者は主人となると彼は論じた。

では主人と奴隷の関係になるとどうなるか、奴隷は一方的に主人を承認し、主人のために労働(職業を意味する労働ではなく、生活全般における様々な活動のこと)を行う。主人はというと、奴隷からの承認と労働を一方的に享受する。

そして、主人は奴隷に承認されても満たされないことに気付く。なぜなら、主人と奴隷の関係は、相互的な承認ではなく、対等な関係ではないからである。奴隷のほうはと言うと、主人に服従しているように見えるが、労働によって主人から自立し、最終的に主人と奴隷の立場が逆転するらしい。しかし、奴隷本人は自分が主人から自立していることに気付かないらしい。

  • VRChatに主人と奴隷の弁証法をつっこんでみる

同様に、VRChatter同士も承認を求めて闘争を行う。接客系イベントのキャストになったVRChatterは主人となり、参加者となったVRChatterは奴隷となる。join戦争と接客により、キャストは参加者から一方的に承認を得る。参加者はキャストを承認するためにjoin戦争に勤しんだり、推しを作ったりする。

しかし、いくら参加者に承認されてもキャストは一時的にしか満たされない。なぜなら、参加者はキャストと対等な存在ではなく、キャストにとっては有象無象の承認媒体のひとつでしかなく、瞬間的な消費物でしかないからである。人気イベントは、狭き門戸を開いておくだけでよいため、受動的に参加者を迎えるだけでいいキャストは主人と化し、狭き門を入ろうと躍起になる参加者は奴隷と化す。

これは極端な抽象化であることは私自身も理解しているが、どうしてもキャストと参加者の関係性が、相互的なもの、対等なものとは思えない。推しとファンの関係性なんてまさにそうだ。ファンは一方的に推しを承認し、推されるキャストはその承認を受動的に受け取るだけだ。

元々、ヘーゲルのこの議論は人間同士の承認の話だから、このようなイベントだけでなく、一般的なユーザー同士のコミュニケーションも同じようなことが言えるし、リアルの人間関係は言うまでもないことである。もしかしたら、VRChat上の何気ない日常のなかで、主人と奴隷の関係は常に生まれているのかもしれない。初対面の白色ネームプレート同士のコミュニケーションの第一声で、主人と奴隷の関係が築かれてしまうのかもしれない。イベントを運営する者と参加者する者、コミュニティを持つ者と持たざる者。メタバースだとかVRSNSだとかは、リアルの立場や肩書と言った社会属性に無知のヴェールをかけることに成功したが、人々は今度はメタバース上での立場や肩書に拘束されたり、疎外されたりするようになってきたのかもしれない。

  • 最後に

最後に、私はこの記事を通して接客系イベントとイベント関係者各位を叩くつもりも批判するつもりもありません。私が、”主観的に”そう”思った”だけであり、この記事で述べたことに関して”善い”か”悪い”かの価値判断もしたつもりもありません。そこだけは理解して頂ければ幸いです。

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