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bone to be blue

先日 ブルーに生まれついて (原題『BORN TO BE BLUE』)…観てきました。

My funny Valentine と 殊
『I've Never Been in Love Before』の聴き方が完全に変わってしまった…

こんなに痛くて苦しい歌になるとは

ブルーに物憂げに囁くような 呟くような
儚く切ないため息にも似た中性的な歌声
ワタシのJAZZ入門は このチェット ベイカーに始まり 飽きることなく今に至る。。

映画でもあったような 逆差別的な 「LAの白人」「邪道」といった観念が 島国な日本人のワタシには殆どない。
きっと 外国人が握った鮨でも、打った蕎麦でも、、美味しければ美味しいと心から言える質だろう。
他国の文化であっても 真摯に向き合ったその人まるごとのソウルが一杯につまったものならば 素直にそう思える。

本家と言われる部分に揶揄されたチェットの声やラッパも
実生活の退廃的な歩みでか 危うさを孕んだ繊細さが入り混じった 若草のような蒼、初々しさが気品を失わずにで
唯一無二な優しい色の音を生んでいるような気がする。充分 JAZZ。チェットにしかできないJAZZ。。

今のワタシの色んな部分が おそらく このチェットベイカーに繋がっている。

ワタシは基本的に「人は独りきり。他者とは中身全ては分かり合えない。」と思っている。
そういった認識が余計、殊更にで、このひとは失いたくない 大切だ !と思う他者との関係性づくりには相当な時間を費やし 精一杯ココロをかける…
(それは結果 ディスコミニュケーションを生んでいるのかもしれないけれど)
自分の心許せる身の置き場をつくろうと 欠落感を埋めることに必死でもあるんだろう。

そんな運命かのように出逢った大切な他者とも例え想い半ばで 別れが訪れてしまったとしても その後も人生は続き 生きていかなくてはならない…
他者との交わりは 妥協と落胆の連続。
何かを追い求め 究める人間にはとても苦痛で この上なく難儀なことかと思う。
それゆえ結局 チェットもひとりを選ぶことになったんだろう。。と

多言なワタシにとって なるべく多くをいわない聡明で感性なひととは 共感というより共通理解を感じることが多々。
尊敬も重なり 深くつながった気になり このうえない感動に包まれる。。

そして またひとりきりに戻ったとき その人のテイスト 余韻が 自分の中に宿っていることにふと気付く。
瞬間、ワタシの生まれついたブルーもほんのりあたたかな“あお”になる。

ワタシの部屋にはあれから ずっとチェットがかかっている。
#bonetobeblue #chetbaker #Jazz #movie #ethanhawke #ワタシのジャズデビューはチェットベイカー

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