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🐈 信仰は美しい 🐈

大川隆法総裁先生 書籍・宗教の挑戦 

夕陽を眺める猿 

「信仰」という言葉をどのような響きを感じているのでしょうか。それは、手垢のついた古い言葉でしょうか。それとも、妄信、狂信という響きを持ったものでしょうか。

あるいは、他人の意見にはまったく耳を貸さないという、頑な心を持った人のことをイメージしているのでしょうか。いったいどういう感じを抱いているのでしょうか。

信仰とは人間特有のものである、とも言われます。しかし私は、次のような話を聞いてことがあります。

現在ではスリランカと呼ばれている、インド大陸の南側にある小さな島での話です。猿の生態を研究していたある動物学者が、あるとき唖然とするような光景を目撃したというのです。

それは、一匹の猿が海岸の岩の上に座って、西のほうをジーッと見つめている光景でした。何を見つめているかというと、インド洋に大きな夕陽が沈んでいこうとするところを、ジーッと見つめていたというのです。

赤く大きな太陽が、次第しだいに海の底に沈んでゆく。その途中で光がインド洋を照らし、海岸の海の底までが透明に見える瞬間がある。その景色を、猿は一時間ほどにわたって、ずっと見ていたというのです。

そして、それを見ている姿が、何とも言えない恍惚感ーえも言われぬ美しい景色を見ているという様子で、うっとりと見ていたというのです。その姿を見てその動物学者は本当に驚いたそうです。

「これまで、人間だけが真・善・美といった価値観を持っていて、動物にはそのようなものはないと考えられていたのに、どうやら猿にも『美』ということがわかるらしい。インド洋に大きな太陽が沈んでゆく景色をじっと見ている姿を見ると、何やら宗教的な信仰心まで感じさせるようなものがあった」と述懐したそうです。

この猿が西に沈んでゆく太陽を眺めている姿は、ちょうど人間が西方浄土に向かって、「彼の世界に阿弥陀様がいらっしゃるのだ」と長年にわたって信仰していた姿に、極めてよく似ていると思います。

美を感じる生き方 

私はここで言いたいです。信仰は人間特有のものと考えてもよいでしょう。しかし、人間のなかにも信仰を持たない人が数多くいます。

「あの世の世界など信じない。霊の世界など信じない。人間は死んだらそれで終わりだ。神も仏もない。高級霊などあるわけはない」と考える方が数多くいるわけですが、彼らはこの猿より劣る存在なのではないか、と私は思うことがあります。

人間は猿より優れているのだろうか。ある面ではそうかもしれないが、もしかすると、他の面では違っているのではないか。猿より劣っている人もいるのではないか。

「信仰なんて何になる。神なんか信じない。私は唯物論者だ」と言っているような人のなかには、もしかしたら、残念ながら猿以下の人生を生きている方がいるかもしれません。

少なくとも、都会の喧騒のなかで、自分がいったいいかなる立場に置かれていて、何を目的に生きているのかも知らずに、刹那刹那を衝動的に生きている人間には、インド洋に沈む夕陽を眺める猿のような、信仰心に満ちた美を感じる生き方はできないかもしれないのです。

岩の上に登って、沈んでゆく夕陽を小一時間も眺めている猿と、兜町で株の上がり下がりに一喜一憂しながら売った買ったと一日中叫んでいる人間と、いったいどちらが人間に似ていて、どちらが猿に似ているかを考えたときに、ふと不思議な感慨に打たれるのは、私一人ではないのではないのでしょうか。

信仰というものは、穏やかな透明感のある心を取り戻さなければ、その素晴らしさがなかなかわからないものなのです。忙しい都会人は、休日には山や海に行って伸び伸びとするほうがよいと言われますが、それはこのことをも意味しているでしょう。

張り詰めた神経を伸ばさなくては、大自然と一体になる感じを味わい、その奥にある悠久の時間というものを感じることはなかなか難しいのかもしれません。

みなさんは、現在ただいまの自分のものの見方、考え方、あるいは生き方が、ごく当然のことのように思われているかもしれません。しかし、立ち止まってもう一度考えていただきたいのです。

「あなたのその姿は、本当の姿ですか。本来の姿ですか。他人があなたの心の内を覗いたら、いったいどのように見えるでしょうか。それは非常に恥ずかしい心ではないでしょうか。人間として、あってはいけないような思いで、一日を過ごしていませんか」。

そのようなことを、私はみなさんに問いかけてみたいのです。

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(私文:中学の時に遠藤周作書『沈黙』という本を読みました。)

隠れキリシタンの話で、マリヤ様を信じない人は助かり、踏み絵を踏むことが出来ず、マリヤ様を信じている人は殺されてしまうという話です。こんなことが起きているのに、なぜ神は沈黙しているのかという、神父さんの苦悩を描いたストーリーだったと思います。神様を信じるということは、大変なことです。なんせ、目に見えないですから。小さなきっかけしかありません。天国があるのか地獄があるのか、本当に分からない話です。しかし、信じることによって、分かることはこの世の不思議です。この世で生きている意味が分かります。自分の人生の問題集が分かります。人としての正しい生き方が分かります。信仰を通してしか分からないことが沢山あると私は思います。

最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございました。


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