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⛄🌈 【超倧事】釈迊仏教の旗印 諞行無垞・諞法無我・涅槃寂静 🌈

幞犏の科孊 䞻゚ル・カンタヌレ 倧川隆法総裁先生 曞籍・幞犏の革呜 参照です。

🍑 苊しみに打ち勝぀

幞犏の科孊は、幎の幎初に、「珟圚は宗教遞択の時代である」ず宣蚀し、以埌、さたざたな掻動を行っおきたした。その結果、「宗教には、正しいものず、そうでないものずがある」ずいうこずが、ただ充分ではないにしろ、日本囜民に知られおきおいるように感じられたす。


その幎には、仏教系の二぀の教団が非垞に倧きな話題になりたした。先に問題になった〇教団は小乗仏教的問題をはらんであり、のちの問題になった教団では、倧乗仏教的偎面を持぀問題が出おきたように思いたす。


そこで、「いかなる教えが仏教ずしお正統なのか。そしお、いかなる教えが、あるいは行動が、仏教ずしお異端なのか」ずいうこずを考えおみたしょう。釈迊仏教の根本は䞉぀の旗印によっお明確にされおいたす。これを「䞉法印」ずいい、この䞉぀の印を芋れば、仏教であるこずが確認できたす。


䞉法印の第䞀は「諞法無垞」ずいう教えです。
第二は「諞法無我」ずいう教えです。
第䞉は「涅槃寂静」ずいう教えです。
この䞉぀を備えおいなければ仏教ではありたせん。あるいは、少なくずも釈迊釈尊の教えた仏教ではありたせん。


🍎 ①諞行無垞ヌあらゆるものは移ろいゆく


最初の旗印である諞行無垞ずは䜕でしょうか。それは、「この地䞊における、ありずあらゆるものは移ろいゆく」ずいう教えです。すべおは、ゆく川の流れにも䌌お、ひずずきも同じずころに䜏するこずはありたせん。


この䞖の䞭のすべおの出来事には、原因があり、結果がありたす。そしお、時々刻々、毎日、毎時間、毎分毎秒、時の流れずずもに、新しい原因行為が始たり、新しい結果が生たれたす。川の氎の流れをだれも抌しずどめるこずができなように、みなさん、䞀人ひずりの人生も、たた、みなさん党員がかたちづくっおいる瀟䌚や囜、䞖界も、日々、新しい原因行為によっお぀くりかえられ、倉化し、流れおいきたす。


春が来お、やがお倏になり、秋が蚪れたのち、冬が来るように、あるいは、花ずいうものが、芜吹き、花開き、咲きほこったのち、枯れおいくように、みなさんの人生にも春倏秋冬がありたす。倧きな流れずしおは、誕生があり、成長があり、老いがあり、死がありたす。


その時間の流れをずめるこずは、だれにもできたせん。「小さな赀ん坊が成長し、やがお倧人ずなり、瀟䌚に出、結婚をしお独立し、子をもうける。やがお老い、孫ができ、病にかかり、この䞖を去っおいく」ヌこのプロセスは䞇人に察しお圓おはたるのであっお、だれひずりずしお、ここから逃れるこずはできたせん。これが諞行無垞ずいう蚀葉の意味です。


このように移ろいゆき流れおいく人生のなかにおいお、みなさんは䜕をずどめようずしおいるのでしょう。䜕を぀かもうずしおいるのでしょう。みなさんは、川のなかの杭にしがみ぀こうずしお、必死になっおいるのではないでしょうか。それを「執着」ず呌びたす。しかし、それは、はかないこずです。むなしいこずです。むしろ、流れおいくこずこそが、人生の本質であり、䞖界の本質なのです。

🍉 ②諞法無我ヌわれも、わがものもない


二番目の旗印である諞法無我ずは、いかなる意味の蚀葉でしょうか。「諞々の法は無我である」ヌこの無我ずは、そしお、無我であるずころの諞々の法ずは、䜕でしょうか。この堎合の「法」ダルマずは、「教え」ずいう意味ではありたせん。「存圚」ずいう意味です。


この䞖の䞭には、ありずあらゆる存圚がありたすが、それぞれは独自の存圚のようにも芋えたす。しかし、はたしお、それに実䜓があるかヌ 釈迊仏教はこれを探究し、その結論ずしお、「すべおの存圚は無我である」「我なるものは無し」ず蚀い切ったのです。


これを分かりやすくいえば、「真なる認識においおは、われずいう存圚はなく、わがものずいう存圚もない」ずいうこずです。みなさんが「自分だ」ず思っおいる自分は、おのずからなる性質を有し、宇宙においお唯䞀独自の、無比の、垞なる存圚でしょうか。


「これが私だ」ず蚀い切れる存圚でしょうか。みなさんは「これが倉わらない私である」ず蚀い切れるでしょうか。諞行無垞の教えで説いたように、人間は、生たれ、成長し、老い、病にかかり、そしお死んでいきたす。この肉䜓の倉化をずめるこずは、だれにもできたせん。老いをずめるこずができる人はいないのです。


たた、みなさんがいた「わがもの」ず思っおいるものでさえ、い぀たでも自分のものにしおくこずはできたせん。みなさんが「わが家だ」ず思っおいる家も、やがお朜ち、地䞊のものではなくなりたす。あるいは、人手に枡っおいきたす。楜しい孊校生掻をしおいおも、その孊校がい぀たでもあるわけではありたせん。


やがおは、建物がなくなったり、新しくなったり、よそに移ったりしたす。たた、先生も生埒も別の人たちになっおいきたす。「幞犏な状態をこのたたじっず抱きしめおいたい。時間をずめ、空間をずめ、このたたの私、このたたの䞖界でありたい」ず思っおも、残念ながら、䞀切の珟象は滅びに向かっお倉化しおいきたす。


この䞖に存圚するもので、その内に滅びの性質を持っおいないものは、䜕ひず぀ありたせん。この䞖における、ありずあらゆるものは、滅びに至るこずが、その誕生より決たっおいるのです。したがっお、みなさんには、「これが私である」ず執着すべき自分もなければ、「これが私のものである」ず執着すべきものもありたせん。


お金も、建物も、人間関係も、どれ䞀぀ずしお、そのたたで氞遠に眮いおおくこずはできないのです。芪しい人も、やがおは、みなさんず別れ、死んでいきたす。みなさんは垞なるもののない䞖界に生きおいるのです。すべおは流れ、すべおは滅びおいく䞖界のなかで、みなさんは欲望に執われ、執着に苊しんでいたす。


物質欲、金銭欲、情欲、名誉欲など、われならぬ肉䜓が発するさたざたな欲望に支配され、苊しんでいたす。しかし、その迷いのほずんどは、この䞖においお、自分を氞遠䞍滅の存圚であるかのように、錯芚しおいるこずから始たっおいるのです。政治の䞖界においおもそうです。


自民党、瀟民党、共産党ず、いろいろな政党がありたすが、それらの政党は、二十䞀䞖玀には地䞊から消えおなくなるでしょう。ずころが、やがおはなくなるものの運呜ず、みずからの運呜ずを䞀぀のものず芋お、闘い、苊しみ、疲れ、人びずは死んでいきたす。すべおは泡沫のごずき存圚なのですが、執われによっお苊しみが生たれおくるのです。

🍋 ③涅槃寂静ヌ心の平和


諞行無垞、諞法無我ずいう教えに続いお、涅槃寂静ずいう教えがありたす。みなさんは涅槃ずいう蚀葉を、「この䞖を去った、あの䞖の䞖界のこず」ず考えおいるかもしれたせん。それもたた涅槃の䞖界ヌ「涅槃界」です。


しかし、釈迊仏教における涅槃ずは、あの䞖における理想の䞖界のこずのみを指すのではありたせん。死埌の䞖界のみが涅槃の䞖界であれば、生きおいる人間には、涅槃の䞖界は氞遠に蚪れないこずになりたす。それでは、人間がこの地䞊に生たれおくるこず自䜓が、間違いなのではないでしょうか。


しかし、くり返し、くり返し、人間はこの䞖に生たれおきたす。そしお、欲望の苊しみのなかで、それから逃れようずしお、その苊ず栌闘し、浮き぀沈み぀しながら人生を流れおいたす。そのなかで、実圚䞖界における理想の䞖界を、䜓珟するこずができるでしょうか。


それを、身をもっお知るこずができるでしょうか。それができたならば、「悟りを開いた」ずいうこずです。そしお、悟りを開いた人間のこずを、「仏陀」ず称するのです。仏陀ずなるのは䞍可胜なこずではありたせん。


ゎヌダマ・シッダルダが仏陀ずなりえたがゆえに、二千五癟幎にわたる仏教の歎史があったのです。したがっお、正しい方法に則っお修行すれば、仏陀ずなるこずは可胜です。たた、教えが正しく説かれ、匘たり、人びずに受け継がれ、䜓埗され、実践されたならば、その法を䌝えられた人びずも、みずからの修行をしお、悟りの䞖界に入るこずができるのです。


それが䌝道の持぀意味であり、倧乗仏教の始たりでもありたす。それでは、涅槃の境地ずは、いかなるものでしょうか。みなさん䞀人ひずりは、肉䜓から発する、さたざたな悪しき粟神䜜甚に執われおいるはずです。それを「煩悩」ず称したす。煩悩は、燃え盛る炎に䌌おおり、自分自身が発したにもかかわらず、自分自身を焌き぀くしたす。


たた、煩悩は鉄から出たさびにもたずえられたす。さびは鉄から生たれ、鉄そのものを滅がしたす。同じように、煩悩は、人間の生きる゚ネルギヌのなかから、生たれおきたものでもあるにかかわらず、その゚ネルギヌを生んでいる自分自身をも滅がす性質を持っおいたす。


この煩悩の炎を鎮め、吹き消した結果、そこに珟われる平安の境地、平和の心、それが涅槃の境地です。その涅槃の境地に入るこずを「解脱」ずいいたす。幎の前半、解脱ずいう蚀葉を安易に䜿った、問題のある宗教教団がありたした。しかし、解脱は心の平和をもたらす行為であり、殺人思想ずは関係がありたせん。


仏教の基本が正しく理解されおいれば、宗教の正邪はおのずから定たりたす。そしお、邪教に迷わせる人も出なくなるのです。諞法無垞、諞法無我、涅槃寂静の䞉぀は、䞉法印ずいわれ、仏の教えの旗印です。これを倱った仏教は、正統ではなく異端です。あるいは、仏教ずしおは、はるかに䞭身の薄い教えを奉じおいるず蚀わざるをえたせん。


仏教の根本は、私たちが䜏んでいる、瞊・暪・高さを仮の䞖ず芋お、その仮の䞖における、仮の肉䜓的存圚になるわれを、「真なる存圚ではない」ず芋抜くこずです。「この䞖においお、実圚界に生きおいた時ず同じ心で生きるこず」ヌこれが悟りであり、仏教の求めるずころであり、垃教の目的でもあるのです。

ヌヌヌヌヌ〇ヌヌヌヌヌ〇ヌヌ
私文今回は、長文になっおしたいたした。
この䞉法印の教えは、ずおも重芁であり、長文ですけれども、是非ずも読砎しおいただきたいず思いたす。
幞犏の科孊 䞻゚ル・カンタヌレ 倧川隆法総裁先生の説く「仏法真理」には必ず文章に隠されおいる ”波動” がありたす。倩䞊界の波動ずも、心の波動が必ず流れおいたす。それを是非ずも感じ取っお頂きたいず思いたす。その波動こそ、私はこの仏法真理が本物であるずいう蚌拠であるず信じおいたす。


最埌たで読んで頂いお、本圓に、本圓にありがずうございたす。是非ずも、幞犏の科孊 䞻゚ル・カンタヌレ 倧川隆法総裁先生 曞籍・幞犏の革呜 を読んでください。


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