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089\\\ 本と「呼吸」が出来た。

「呼吸」とは、通じ合うこと。それは、人と人だけとではなく、「本」に対しても、ときどき起きたりするよ。もちろん、本という「紙製品」に対してではなくて、その本を書いてくれている「作者」に対してなんだろうね。


本を手に持った瞬間、その本を書いた「作者からの波動」のようなものを感じたりするよ。本を開いて、実際の紙に印刷された活字に眼を向けて読み始めるのは、それを感じてからになるよ。


もちろん、その本を買ったのは、その作者をなにかしらのことで知っていたからだし、それでも、その作者のことを知っているというのと、本に書かれている内容を知っているということは別なのだから、つまり、読んでみなければその作者のことは、わからないから。


作者にはちょっと興味や関心はあるけど、どんなものを書いているのかは知らない。だから、本でも買って読んでみようかな、というわけなんだね。


本が自宅に届いた。でも、だからといって、すぐにページを開いて、すんなりとスススっとは、読めない。ぼくはそんなに活字を見ることは好きでもないのだ。それよりも、まずは「手」に取ってみることから始まるかな。手に触れれば、いろいろわかるしね。


手にとっていみれば、その本から、指先や眼を通じて、本の中に棲んでいる作者の出している波動のようなものを感じられる。それでも、まだ、読むのではなくて、本の全体を見たり目次あたりをながめる感じる程度でいい。そして、何かのタイミングで、やっとページの本文をパラパラとー、という感じに入るかしらね。


それで、パラパラさせていながら、あるページで、「?っ」と、何か思った時だけに、それを感じた本文の始まりのページを探しては、そこから読むという動作に入ったりするかもである。その時のそれは、ページの活字を「読む」というよりは、書いてある内容が「映像のよう」に感じられれば、そのままずっと「読む」に入るわけなのですね。


もし、そういうものを感じられず、ただの活字だけしか眼に入って来なければ、それはそれで、もう止めてしまう。ぼくは活字というものが、実はそんなに好きでもないので、「活字経由」で、映像でもリズムでも、音声めいたものでも、そんなものに活字が変換されてやってくれば、それを読み始めるということになるわけです。


ずぶずぶと、沼にはまるように、それも「読む」というか、ページに入ってゆく、という表現の方がいい。


めでたく、そんな感じのページや本と巡り会えた時、「呼吸」が始まっているわけです。お見合い成立! 本を手に持ったことで、手から腕を伝って、脳内に来て全身にやって来る「呼吸」のお見合い状態。


それは「読んでいる」というよりも、本に入っていると言った方が適当な表現。本の方が広がってこちらを包んでいる? 風景を見せてくれているような。音や振動や、登場人物の体温や考えていることを教えてくれている、というような、スクリーンの中にいるような気分。


そういうものを感じてしまったら、それはもう、それは紙でも本でもなく、読書でもなく「呼吸」というもの、なのです。


しかし、本に対して、こんな対応なのだから、これは「読書」などとは言える行為ではない。だから、一冊の本を完全に全ページを、読まないこともあるかもしれない。しかし、それはそれで・・・。


「呼吸」のつくり方。

・~ 薔 薇 の 呼 吸 ~・

この『薔薇の呼吸』をいちばん素晴らしい「呼吸」といたします。
薔薇を宇宙と見立てた「呼吸」なのです。

しらのゆきひと///呼吸のデザイナー

アメブロにも書いてます

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