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ブラックフォーマルを買っておきなさい

こんにちは。1010です。お久しぶりです。頭の中がぐるぐるして眠れないときは、何かを作るのが良いことを知っているので、文章でも書こうかなと思います。

こちらの記事で修了をご報告した後、すっかり更新の間が空いてしまいました。周囲の人や環境に恵まれながら、駆け出しグラフィックデザイナーとして働いています。今のところは元気に頑張れています。
学生の頃もバイトはしていましたが、両親の支援に多大にお世話になっていたので、やはり自分で自分の身を立てられるというのは大きいですね。学生の頃に比べて、布団の中で自分には生きている価値が無いのではないかと思い悩むことが圧倒的に減りました。本当に良かった。

一方で、それと同時に、自分を取り巻く周囲のことが少しずつ見えるようになってきました。

例えば、今まで元気(と聞いていた)母方の祖父のことです。海の近くに住んで、漁師をやっていました。

ブラックフォーマルを買っておきなさい

少し前から入院している祖父の、お見舞いに行こうと姉に声をかけられたのは、先月末のことです。
祖父と最後に話したのはいつだっただろう。コロナも流行っていた時でろくにお見舞いも行けない中で、転院する一瞬だけ電話をすることができる、と言われた時だったと思います。帰省した先の母の実家で年に数回会うだけだった祖父に、何を言ったらいいか分からなくて、先に手紙と、そのちょっと前に撮影した海の写真を送っていました。そのお礼を言ってもらったんだったな。そうか、昨年の夏を過ぎた頃だったのか。自分のことで精一杯で、それ以来ずっと話していなかったことにも気づけなかったんだな。
その時の声は、いつも通りの、元気な感じでした。きっと電話口でニコニコしながら私の名前を読んでいたんだと思います。

だから、お見舞いか、急だな〜と思っていたら、母に、「ブラックフォーマルを買っておきなさい」と言われました。そこでやっと私は、その「お見舞い」が意味するところの意味に気づきました。幸いにも身近な人が今までずっと元気だった私が、あまりにもぼーっとしているから、言わせてしまったんですね。母はどんな思いで私にそう言ったのでしょうか。

記憶の中の祖父は、穏やかで、物静かで、いつでも私の名前を呼び、ニコニコとしていました。
年に数回しか会えないのに、会いに行く度に本当に嬉しそうな顔をしていました。年に数回しか会っていなかったから、別に平気でいなければと思っていました。きっと母の方が落ち込むだろうから、私は別に平気でいれるはずだ、と。

ところが昨日、何の気なしにボディソープを泡立てていた時に、祖父が魚網で垢すりを作っていたことを思い出しました。正月飾りも、下駄も自分で作っていました。いつも庭をきれいにしていて、年末に帰ると庭先の紅白の梅や南天や松の木が立派に生えていました。
祖父の、生きることの中にも、つくることがあったようなのです。

自分の生きることの中に、つくることがある、と大学院を通してやっと気づけて、何とかデザイナーとして就職したばかりだっていうのに、すぐ近くにいたなんて。
両親は忙し過ぎてあまりものをつくることに積極的ではないタイプなので、私がこんなふうに仕上がったのも環境的要因が大きさそうだな、不思議と言っては不思議だな、くらいに思っていたのですが、結果的におじいちゃんに似ていた面が、私の中にきちんと育っていたことに気づいたら、急に寂しくなってきました。

私はまだ、ブラックフォーマルを買えないでいます。
祖父に会ったら買えるのでしょうか。
お見舞いは来週の月曜日です。

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