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フィンガースピンサーブの名手ソル・シフ

卓球不毛の地であるアメリカの代表チームは、1937年に世界選手権の団体戦で一度だけ優勝した。チームへ勝利をもたらしたのは、フィンガースピンサービスだった。

特にソル・シフはFSの名手として知られた。1935年に18歳で初めて世界選手権に出場。その2年後の団体戦でアメリカは優勝した。

実績で上回るハンガリーのバルナ選手は、FSに対応できずシフ選手に敗北してしまった。「もしFSが世界大会で禁止されなかったら、ハンガリーは卓球選手ではなく手品師を出場させる」と宣言した。

その直後に国際卓球連盟はFSを禁止とした。選手がサーブを返球できずにいると、観客は一体何が起きているか分からない。卓球が競技として生き残るための判断だったと言える。

ちなみにバルナ選手は1929年から1954年にかけて世界選手権に19回出場。世界選手権における獲得金メダル数22枚という史上最多記録を持つ。FSが禁止された1938年の世界選手権ではシングルスと団体戦で金メダルを獲得した。

シフ選手はFS禁止後も活躍。38年の世界選手権のダブルスではバルナを擁するハンガリーペアを破り、金メダルを獲得している。

参考文献
https://etthof.org/project/victor-barna/
https://web.archive.org/web/20150405012033/http://www.teamusa.org/USA-Table-Tennis/History/Hall-of-Fame/Profiles/Sol-Schiff
https://www.jewishsports.net/BioPages/Sol-Schiff.htm


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