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記憶とカレー

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カレーに関する記憶のまとめ。
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#フードエッセイ

依代、人生の伏線

 昔テレビで流れていたオリエンタルマースカレーのCMで、最後に「ハヤシもあるでよぉ」と言うのが何だか面白く、「〜でよぉ」が幼稚園で流行った。広島の幼稚園で、みんな、名古屋弁と知らないまま真似をしていた。  最初に使い出したのは為末君だったと思う。ゴレンジャーごっこか何かをしていて、「まだ(悪者が)おったでよぉ!」と言ったのである。  それの何が面白いのだか、今はまるでわからないけれど、その時には随分可笑しくて、全員転げ回ってゲラゲラ笑った。涎を垂らして笑う者までいたように思う

裏路地、薄暗い店、昭和の刑事ドラマ

 昔、もうじき大学受験という頃に母が、今日は塾の帰りにどこかでご飯を食べて帰って来なさいとお金をくれたことがあった。  塾は広島駅前だったから、食べる店は周辺にいくらもある。どこにしようかと思っていたらカレー屋の看板が目に入った。  この看板は前々から見ているが、店がどこにあるのかわからない。この際それを突き止めてやろうと決めて看板の示す通りに進んだら狭い路地の奥にあった。これではわからないはずだ。 『笑ゥせぇるすまん』に出てきそうな感じの店で、高校生が一人で入るにはちょっ

土曜日のカレー、新喜劇からの惨劇

 28の時、パスタ屋の店長を辞めて人材派遣屋の営業職に就いた。  最初に配属された営業所は大阪の北の方で、駅前のビルに入っていた。ビルの1階に飲食店がいくつかあったから配属後しばらくはそこで昼ごはんを食べていた。  1階にはカレー屋とうどん屋と洋食屋があって、カレー屋に入ったら、店を出る時はいつも上司のヒル氏が汗だくだったのを覚えている。 「俺、辛いもの食うとこうなるんだよ」と言われて、別段興味もないから「大変ですね」と言っておいた。 ※  基本は土日祝休みだったが、応募