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忘れられない旅♯1

忘れられない旅。
私は旅が好きだ。学生時代から47都道府県制覇を目指して、1週間近く家を空けることもあったくらい好きだ。
お気に入りの旅行先は普通で、王道の北海道や沖縄、京都、金沢、熱海、仙台あたりにも思い出はたくさんある。

「忘れられない旅」そう考えるとどうだろうか。忘れられないにも色々な種類があると思う。素敵な思い出が出来たから忘れられない。ひどい出来事があったから忘れられない。忘れられない人と行った旅。これはもしや、ものすごくざっくりとしたテーマなのかもしれない。
困った。私には忘れられない旅がたくさんある。せっかくの機会なので創作意欲の赴くままに、過去の様々な「忘れられない旅」を振り返ろうと思う。

ep1,忘れられない母娘旅
2人で行ったことがあるのは鎌倉、横浜、東京ディズニーリゾートくらいだろうか。「毎年2人でどこか行きたいねー」等と話していたが、数年間のコロナ禍。
旅行なんてとんでもない。その上私は転職、転居。母はWワークで週7日仕事。
旅行なんてとんでもない。もう母娘旅は出来ないのかな、、、そう思っていた今年の春。
母が仕事の1つを退職した。数週間後、もう1つの仕事で雇止めに遭った。突然の無職。想像もしていなかった。
私はと言うと、転職して4年が経ったものの目標としていた仕事に今年度取り組めないことが確定し、絶望の淵に立っていた。
そして、一生結婚しない!一生独りで生きていく!覚悟を決めた2か月後に出会った人と一緒に住み始め、結婚の話もちらほら。
もしかして今が、母娘旅のチャンスなのでは?
数年ぶりの母娘旅の場所に選んだのは、何度も何度も足を運んだことがある熱海だ。
アクセスがよく観光地がコンパクト。食べ歩きもお土産も楽しめる。温泉もあるし最高だ。ホテルはあまり悩まず、アクセスとお料理の口コミだけで決めた。

段取りを組みながら思う、年々母の思考が祖母に似て来ていること。母に対して嫌だな、と思うところは自分の嫌なところであること。気乗りしない気持ちを抑えて当日を迎えた。

電車の中で待ち合わせをしたのだが、グリーン車に乗るか乗らないかのやりとりが行き違っており、上手く合流出来ず旅は始まった。グリーン車で、持ってきたビールを飲み、おつまみを食べ、優雅な旅だ。
熱海に着いてからは商店街で食べ歩き。お互い年を取って食べられる量が少なくなってしまったから、1つを半分こするのがちょうどいい。
母の希望を叶えるために神社に行き、たくさんの願い事をしてからホテルにチェックイン。チェックインが遅れてしまった都合で、夕食はなんと16:30。昼食を少々の食べ歩きにしておいて良かった。

「バイキングかと思った」私がお料理をけちると思ったのか?母の嫌味な気がする。素材、温度、器、全て工夫された目にも舌にも美味しい会席料理だった。
そういえば母と2人で、時間を気にせず外で食事をするなんて何年ぶりだろう。これがあと何回出来るのかな。改めて、この決定は間違っていなかったと思う。

夕食が早かったおかげで、まだまだ時間がある。夜の海に行って、砂浜を掘って波打ち際まで歩いて話をした。何を話したかは全く覚えていないが、この時のことは一生忘れないと思う。

コンビニに寄ってから戻り、また宴の始まりだ。テレビを見るわけでもなく、スマホを見るだけでもなく、ただただあーでもないこーでもないとダラダラ話すだけの時間は最高に贅沢だと思う。普段より早く布団に入ったがすぐに寝てしまった。

翌日は海鮮丼を食べ、指輪を手作りし、お土産を買い込み。早々に帰路についた。計画を立てている時は「あそこに行きたい」「これをやりたい」と2日間では無理だよ、というくらい色々希望を言っていたはずなのに、実際旅が始まってみると疲れが溜まるのか、思っていたよりも早い解散になった。

家に着くのは母の方が遅いので、こまめに連絡を入れ無事を確認する。いつの間に心配される側と心配する側が逆になったのか、ぼんやりと考える。心配されている側の時は「そんなに心配しなくても」と思っていたが、逆の立場になると当時の母の気持ちが分かる。こうやって人は成長していくのだろう、ということにしておく。

こうして数年ぶりの母娘旅は当初計画していたよりも穏やかに終わった。感動的なエピソードも無ければ大きなトラブルも無い。でも、こうして2人で同じものを見て、同じものを食べて、向き合って話をすることが出来たこの旅は私にとって間違いなく、忘れられない旅だといえる。

もしまたどこかに行けるのだとしたら、私は間違いなく迷わずに行く。多少気乗りしなくても、スケジュールが苦しくても、金銭的に苦しくても、行く。そして何気ない時間を積み重ねる。こういう旅も悪くない。

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