キケロ「老年について」#10 平和で穏やかな幕引き

 私が熱心に教えを請うた人のことを話そう。
 彼は私よりずいぶん年上で、初めて会ったときはまだ老齢とはいうほどではなかったがそれでもかなりの年齢だった。気さくなところがある人格者で、長く彼と親しくさせてもらったが、年をとっても人柄は変わらなかった。私はまだほんの若造なのに、まるで同い年のように親しみを感じた。
 彼は老いてもなお際立った存在感を放った。
 彼は国のために戦い、公共の利益のために働いた。老いてもなお際立った存在感を放っていたよ。
 それは公の場でだけではなく、公務を離れた自宅でもそうだった。ちょっといた会話や他人への助言、専門家として語る意見など、プライベートな場面でもその知見は輝いていた。私は夢中になって彼の話を聞いたものだ。彼が亡くなったら、もう教えを請う人はどこにもいないような気がしていたが、実際、彼がこの世を去ったとき、私の予見は的中したよ。
 「老境は惨めなものだ」なんて言う人もいるが、彼の晩年を見るとそれが大きな間違いだとわかる。もちろん、誰もが彼のようなことができるできるわけではないだろう。だが、老境にはまた別の姿がある。静かに、そして清廉潔白に送った人生の、平和で穏やかな幕引きとでも言うべきものだ。
 プラトンは81歳で亡くなるその日まで、それまでと変わりなく書き続けていたという。ギリシャのゴルギアスは、休まずに研究と仕事を続けて107歳の誕生日を迎えた。「そんなにも長生きしたいのはなぜですか?」と聞かれて「老人であることに文句を言う理由がないからだ」と答えたそうだ。学究の徒にふさわしい、高潔な答えじゃないかね。


※前半に紹介された人のように、世間から立派だと賞賛されるような大きな仕事はとてもできないと思いますが、後半に出てきた方の「真似事」はしてみたいなと思います。「清廉潔白に送った人生の平和で穏やかな幕引き」というのは美しい表現ですね。

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