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「線」が世界を創る三冊

領域と超えた知と知をネットワークする「千夜千冊」では、一見関係のない「夜」でも、つなげてみると新しい風景が見えてきます。「千夜三冊」と題して、掘り出し物の千夜をご紹介します。

[い]クレーの厖大な「線」のスケッチを見る

1035夜『造形思考』パウル・クレー

 アタマの中のイメージを「見えるもの」にするときに必ず破綻が起こる。思っていたような造形にならず、自分の絵の下手さに気づくのがオチだ。しかし、この「目に見えるもの」と「目に見えるようにする」こととのあいだを模索したのがパウル・クレーだった。

 クレーは、バウハウスでの初日の授業で学生たちに「ある線」を見せ、スケッチをさせた。その後、それがマチスの絵の一部であることが明かされる。そこで、カーテンが閉められ、電気を消した上でもう一度「マチスの線」を描かせた。学生たちは今見たものを「目に見えるようにする」ことがいかに難しいかに驚愕する。アタマの中にはマチスの絵がはっきりとあるにも関わらず、容易に見えるようにできるものではなかった。それを見えるようにするにはイメージそのものを「分節」していかなければならないとクレーは伝えたかったのだ。クレーは原始時代からの人類が描いてきた「線」をトレースし続け、その結果、イメージの本質が分節なのだと考えるようになる。
 クレーは、分節の方法こそが造形思考の根本にあると結論づけ、『造形思考』にはその試行錯誤のプロセスが余すところなく記録されている。最後に千夜ではこう記されている。
 「もし諸君のアタマの中でデザインや編集が進まないというのなら、一度、パウル・クレーに立ち戻ってみるとよい。目からウロコがはがれ、脳のスダレがあがるだろう。それがどうしても面倒だというなら、パソコンを切り、部屋の電気を消して、アタマの中に30分前に浮かんだことをトレースしてみることである」。

[ろ]日本のかたちに線を引いてみる

1303夜『境界の考古学』俵寛司

 日本人として初めてスペースシャトルに搭乗した宇宙飛行士・毛利衛は「宇宙からは国境線は見えなかった」と言った。しかしながら、地図を開いてみるとそこにはあちらこちらに線が引かれている。ヨーロッパでは「リメス(境界)」としての国境が領国や王国とともにつねに動き、アフリカでは人為的な直線の国境が数多く引かれた。
 では日本はどんな国境線が引かれるているのか? 1303夜『境界の考古学』では日本の「対馬」に注目することで、日本人の国境感覚が見えてくる。海国としての日本のような国では、国境は当初は「この世の果て」であり、歴史が進むにしたがっては外襲と海防の波濤にもまれるものとなっていく。その中で対馬は、常に朝鮮半島に対峙してきたクニだった。
 そもそも対馬という語源からして、新羅に渡るための停泊地となる津島だったからとも、馬韓(ばかん)に相対する位置だったので“対の馬韓”として対馬となったとも、言われてきた。対馬とは日本が最初に朝鮮半島を意識した地名だったのである。
 この千夜では日朝間の歴史を追いかけながら、対馬が果たした“国境国”としての役割の重要性に着目する。中世の日本人には「北は佐渡、南は熊野、東は外浜(そとがはま)、西は鬼界島(きかいじま)」という“国の境”が巷間にまで通用していた。外浜は狭義には津軽のことを、鬼界島は薩摩半島南方の硫黄島近くをさすが、当時は日本の東の境界と西の境界、すなわち「果て」(涯)をさしていた。それなら蝦夷や琉球はどうだったのかというと、そこは「外つ国」という曖昧領域だったのだ。けれども対馬はずっと日本だった。ここにはどんな意味が隠されているのか?
 対馬を中心に眺めることで、いまの外交にも通底するような日本人の国境感覚・外交感覚が浮き彫りになっていく。いま日本の形はどう線引きされるのか、対馬を通して考えてみたい。

[は]宇宙は「ひも」でできている

1001夜『エレガントな宇宙』ブライアン・グリーン

 造形も国境も線でできていた。しかし、現在の科学では宇宙も「線」でできているという仮説がある。「超ひも理論」だ。この理論はなんといっても宇宙の究極の単位をストリング(ひも)とみなしたのである。ひもの形には、「開いたひも」(端がある)と、それがくっついた「閉じたひも」(端がない)とが想定されている。スーパーストリング理論が何を言いたいのかというと、その「ひも」が振動することによってクォークや素粒子などを“表現”すると考えた。これは、従来から持たれていた「点粒子」としての素粒子像を捨てたことを意味する。まるでクノーの造形思考のように、宇宙でも「線」で表現することが仮説されたのだ。
 物理学では相対論と量子力学がまだ統一的な理論では説明されていない。つまり、アインシュタインとボームはまだ手を結んでいない。しかし、この「ひも」を活用すれば統一できるかもしれないという光明が見えてきた。それが第一次ストリングス革命と呼ばれたものだ。スーパーストリングは、それが振動しているときには素粒子やクォークに見え、かつ別の場面では「重力子(グラヴィトン)」のように観測されるものだろうというものだった。ひもは姿形を変えながら宇宙を構成していると考えられたのだ。
 さらに、第二次革命では複雑な現象が加わり、その理論化が試みられた。その“つなぎ役”を果たしたのが「Dブレーン」という考え方である。カリフォルニア大学の若き俊才、ジョゼフ・ポルチンスキーが提案した。スーパーストリング理論では「ひも」はおおむね自由に動きまわっているが、さらには「ひも」が切れ、それによってその開いた端っこが別のくっつき方をする場合も想定された。ひもは想像以上に自由に宇宙を漂っていたのだ。
 ひも理論によって、宇宙が何次元なのか、重力の正体は何なのか、ビッグバン以前の世界はどうなっていたのか、などあらゆることが説明できるかもしれない。いまなお謎が広がる宇宙の神秘の奥にも「線=ひも」が躍動しているかもしれないのだ。

 クノーのイメージは分節の線によって、国のかたちは国境線によって、宇宙の正体はスーパーストリングスによって形作られている。「線」をめぐる冒険の先には、イメージと現実の境も、アインシュタインとボームの断絶も超えるほどの発見があるかもしれない。たまには電気を消して、イメージのかたち、国のかたち、宇宙のかたちに思いを巡らせてみたい。

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■カテゴリー:千夜三冊


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2000年に始まったブックナビゲーションサイト「松岡正剛の千夜千冊」の編集部です。千夜の編集からインタビュー取材・ブックデザインまで、本にまつわることなら何でも挑戦します。