サイゼリヤってそんなにいいだろうか

インターネットの浮世にはびこるサイゼリヤ論争。
Twitterアカウントの一つも持っていれば誰もが一度は目にしたことがあるだろう。

デートでサイゼリヤにつれていくのはアリだのナシだのと大変盛んである。
この様子はおよそ年に2度のペースで砂漠から染み出した原油のごとく浮上し、サイゼリアの根強い人気を思わせる風物詩となっている。

21世紀、人はこれほどの娯楽に囲まれてもなお暇を持て余し、大変些末なテーマで議論をふくらませるユーモアと、幾度繰り返しても飽きることのない根気強さを披露しあっている。いやはや日本の未来は明るいものだ。


そこで私も一市民としてサイゼリヤ論争に一石を投じたく思う。

デートの場してありなし以前に、サイゼリヤってそんなに良いものだろうか?


本当にサイゼリヤに満足しているか?


私自身正直のところ、サイゼリヤで大満足、という経験は未だしたことがない。
唯一、ワインだけは本当に安いと思うが、それ以外の食べ物は実に値段相応である。


パスタが一皿500円というのも、どうしてもさほど安いように思えないし、ドリアなども量に対してみれば劇安と言うほどでもない。


私自身、若鶏のディアボラ風を頼むことが多いが、これ単品では1食にはならないし、そこにサラダだライスだと付け加えると普通の定食価格か、それより少し高いくらいになるのが常である。


私が思うに、サイゼリヤは食欲旺盛な成人男性を格安で腹一杯にする気のある店ではない。この1点が、私の中での満足度を大幅に下げていると思うのだ。


この視点で評価の高い店といえば、たとえば「ねぎし」である。

ねぎしの定食は決して安くはないが、牛タン1枚でご飯を1杯はぺろりと食べられる味付けであるにもかかわらず、ご飯のおかわりは自由である。

日本男子の諸君であれば、18歳までのいずれかのタイミングで、少量の味の濃いおかずで白米を無限に食うという訓練を受けていることと思うが、まさにその成果をいかんなく発揮し、胃袋がはち切れるまで満腹になることができる店だ。

そして、「腹さえ減ってればもっともっと食える、贅沢なおかずだったな」と思う。ラグビー部くらいの大食漢でも、おそらく一人前の牛タンで、腹一杯になるまで米を食えるはずだ。

ねしぎしは安くはないが、この値段を払った者は誰であろうと全員満足させるという気概を感じる。


家系ラーメンも同様である。ご飯サービスかつ漬物もフリーの王道家系ラーメンは、腹ペコで金欠な大学生を心ゆくまで満腹にしてくれるが故に流行していると言っても過言ではない。


このような視点に立ったとき、ハタチそこそこの男子が「サイゼリヤ大好き!」というのはあまり考えづらい。

腹一杯になるには1000円はかかる。
若者にとってサイゼリヤは、一番安いフードとドリンクバーで永遠に甘い汁をすする場所にすぎない。

ネットでサイゼバンザイを声高に叫ぶ論客たちはファミリー層か?もしくは女子ではないか?と疑ってやまない。


男子はサイゼに行くことで100%自分が納得の行く食事ができる、と期待して行くわけではないのだ。
ではなぜサイゼへ向かうのだろうか?


なぜデートでサイゼが使われるのか?

世の男子たちが女子をサイゼにつれていくとしたら、理由は次の3つだ。

・ちょっと高いけど、二人でシェアして食べればいろいろ食べられて楽しめる店として選んでいる
・単に他に店を知らない
・ドリンクバーで君といつまでもダベりたい


注目すべきは、3つめである。
そう、男子たちは、君と永遠に喋っていたいのである。

金さえ払えば大抵のことは叶う高級フレンチでも、おしゃべりな客に8時間席を貸すことはしない。

ドリンクバーではそれができる。


別のファミレスにおける私の実体験だが、6人で入店し、机の上でちょっとした細工物をしていた事がある。細工物と言うか、小学生の図画工作のようなものを想像してもらったほうがより正確だろう。

ハサミでチョキチョキ、紙くずをちらして、ドリンクバーで粘りに粘った。

日が傾く頃、我々の工作は進捗7割に達していた。
そしてついに店員はしびれを切らし、我々に退店を促した。

入店からおよそ8時間だった。

「一応訪ねますが、フードも追加注文してもダメですか?」

「申し訳ございません」


我々は机の上をキレイに原状回復し、ペコペコと頭を下げながら速やかに会計を済ませ、退店したのだった。


このように、ファミレスでは長居が可能である。
カフェを含む、通常の飲食店を遥かに凌駕する長時間滞在を許された空間なのだ(※我々における例は最終的に許されていないことに留意)


もはや家である。


つまりサイゼデート提案男子は、君と一緒にいたいのである。

無論サイゼを食べたい訳ではないし、飯のことなどどうでもいい。

そもそも99割の男子は飯の味などほとんどわからないし、わかっていそうでもわかっているふりをしているだけの味音痴で、店の雰囲気も明るいか暗いかしか分からない。


甘いか辛いか、味が濃いか薄いかしかわかっていない。
必然、味の感想は「美味しい」「ジューシー」のせいぜい2つしかない。


もうおわかりだろう。


であれば、甘い味のする美味しいジュースを飲めればそれで良いではないか。

まるでカブトムシだ。

甘い匂いに誘われた俺たちゃカブトムシ。

君のデート相手はカブトムシだったのだ。

こうして君はサイゼに誘われたのである。


終わりに


今回は、サイゼデート提案男子を独自の視点から紐解いてみた。

何も難しく考える必要はない。

男子というのは大概にして、女子諸君のむやみやたらと肥大化した期待を大きく下回る存在である。


サイゼデートとは単にそれを反映した現実の一端に過ぎず、いずれは覚める夢が、緑の看板の前で冷めただけのことなのだ。


ここまでお読みいただいた方ならおわかりだろうが、通常の金銭感覚では、とてもじゃないがサイゼは激安店とは言えない。とりわけ貧乏デートいうわけでもない、ごく普通のデートなのだ。そんなもんにでかい声で文句をいうな

もちろんせっかくのデートなのだから、もっと贅沢なもの期待する気持ちもわかるが、サイゼデートをやたらめったら否定するのはいかがなものか。


Twitterのようなドブで大声で叫ぶのではなく、そっと胸の中に秘めておくくらいがちょうどいい塩梅だろう。


カブトムシ以下の男子に、男女関係をスムーズに運ぶスキルなど備わっていない。

女子諸君にも、たまにはアシストしてほしいものである。

「雰囲気のいい店で飲みたいね」

例えばそんな一言で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?