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Sano ibukiの『Pinky swear』から見えた世界~音楽文投稿1周年に思う

人は忘れ切れなかった想いと、どの様に向かい合うのだろうか。思い出したくはないけれど消したくはない、どっちつかずの想いに苦しみ耐えられなくなった心は、いつか自分の都合の良い方に流れていく。心が納得出来る形に姿を変えた、その記憶は美しいのだろうか。それとも悲しいのだろうか。

何かのきっかけで、封印しようとしていた過去の思い出のフィルムが再生されてしまい、終わりたいのに停止ボタンが見つからない。Sano ibukiの『Pinky swear』は、そんな過去のモヤモヤとした思いを、解き明かそうとして止めてを繰り返し、それでも何とか呼吸をしようと、もがいているような曲だ。この曲は、昨年のオンラインライブで初披露された後、今年7月に発売された、彼のセカンドアルバム『BREATH』の4曲目に収録された。

“蹴っ飛ばした缶ジュース“や”降られた秋雨“などの描写、どっちつかずの感情に左右された生ぬるい夏の空気、曲の主人公の気持ちを反映している曇り空あるいは冷たい雨の景色。『Pinky swear』は、それまでのSano ibukiの文学的で美しい歌詞に加え、裏通りの様なリアルな背景を細かく見せることで、曲の持つ純度と強度を最大限に引き出しているような気がする。

曲の中の主人公は、フィルムを再生し終えた後も、“言葉に変えられなかった時に彷徨ってる”と歌う。行動を起こせても、起こせないで終わったとしても、後悔のない人生が存在しないことに気付いた時、彼は自分の終わらない思いに終止符を打てるのかもしれない。

本筋から少し外れるが、2年前にSano ibukiのインディーズのアルバム  『EMBLEM』を初めて聞いた時、私はあまりに繊細なその楽曲達の美しさに圧倒されてしまった。そこには青い透明なガラス越しの景色がただ無限に広がっていた。『EMBLEM』の7曲は、当時の私のJ-PΟPの理想形だった。                                だが、Sano ibukiはその理想形に甘んじることなく、メジャーになってから、さらにスケールアップしたアルバムを出して行った。2019年のデビューアルバム『STORY TELLER』では、架空の物語の世界の多彩な表現を、先月発売になった『BLEATH』では、リアリティと冒険心を、元々あった繊細な美しさに加味して行った。初期の『EMBLEM』が美しい水彩画のリンゴなら、『BREATH』は絵から抜け出したリンゴ。虫食いや傷があっても輝くのは、その傷を隠さない命が強く美しいからだ。

『Pinky swear』を初めて聞いたライブから“季節は巡り巡って”、早くも1年近く時が流れた。1年前に聴いたこの曲は、エモーショナルな“夏の刹那”を歌った曲として記憶に残っている。ライブでは断片的な記憶しか残らなかった楽曲が、こうして音源化されて、CDという姿を持つことは本当に素晴らしいと思う。そしてLIVEという完全に記憶の残らない生物のイベントも、本当に尊いと思う。

そしてこの度、この音楽について語れる場所がなくなる事を知って、寂しさでいっぱいの自分がいる。音楽文を知り、始めてから約1年余りだが、過去の投稿の内容を思い返せば、こうすれば、ああすれば良かったと思う事ばかりだ。後悔だらけだが、そういう終わり方も私らしくて、嫌だけど納得してしまう。                  後悔するという事は、それだけ選んできた、と言う事だから。            傷だらけでも、世界の美しさは音楽から教えて貰ったから。             これからも曇天の中で晴れ間を探すように、沢山の消えた、そして消えなかった後悔と共に、音楽を聴いて行こう。