元実況アナ週一コラムvol.5 窮鼠猫を噛む・8月31日編             

窮鼠猫を噛む

皆さんはこのことわざを
耳にしたことがお有りだろうか?

2018年 1月4日
午前5時25分に
すい臓がんの為この世を去った
星野仙一さんが、
阪神タイガース監督時代に
良く使っていた言葉。
特に18年振りリーグ優勝を達成し
セリーグ史上最速で
マジックナンバー点灯の
2003年に口をついたフレーズ。

追い詰められたネズミが
逃げ場を失った時、
必死で猫に噛みつく事がある。
それが転じて
絶体絶命の窮地に
追い込まれると、
弱い者でも強い者に
逆襲に出る場面が有るという例え!

2003年当時星野監督は、
ビジターゲームがナイターの場合
お昼前からマスコミ各社代表1人
大体12~13人と
コーヒー・紅茶を飲みながら
前日・当日の試合や
普段の生活について話す
お茶会を催してくれていた。

チームも首位を独走、
当然悦に入る状況で
監督の口から余裕めいた
話が出そうな雰囲気だが・・・
常に引き締める様に
この
「窮鼠猫を噛む」と言う
言葉を使っていたのを思い出す。
貯金はいくら有ってもエエ、
減るのは早いだろう!
油断大敵の戒めとして
何度も繰り返していた。

その星野監督は
2002年
ID野球でお馴染み
野村克也さんの後を継いで、
タイガースの監督となった。

星野さんはID野球について
「弱者が強者に勝つ野球」と評し、
自分の野球は
「弱者を強者にする野球」と語った。
具体的には、
考えて頭を使う野球から
勝つことを体に染み込ませる野球。
27人の血の入れ替え
(選手の入れ替え)を行ったのも、
その思いを表現した行いだった。

これは星野監督にしか
出来ない芸当であるし、
切られ行く選手に対する
やりきれない複雑な思いも
大きな度量で飲み込んだ。

だから弱者の
もがき・あがき・土壇場の粘りを
数多く知っていたし、
そんな立場の思いを理解しているから
相手をナメる発言を
しなかったと振り返る。

少し話しは逸れるが、
そんな星野さん
野球の原点は
「千円のグラブ」‼️
実は星野さんの生まれる3ヶ月前に、
お父さんが
脳腫瘍で亡くなっている。

星野さんが生まれた後、
お母さん1人
正に女手1つで
姉2人を含め3人を養った。
ギリギリの生活費の中から
必死のやりくりで、
母が息子にプレゼントしたのが
「千円のグラブ」
母の愛が詰まった贈り物だ!
決してお金では買えない
愛情をグラブに感じ
監督になっても
その母から貰った愛情を生かして
アメとムチを使い分けるのに
長けていた。

阪神が18年振りの
優勝を決めた日、
デーゲームで
サヨナラタイムリーを
放った赤星選手を
星野監督が力一杯抱きしめたシーン。

覚えていますでしょうか?

その2日前
愛情注いで育ててくれた母親が
他界していた。
又6年前には
愛妻・ふさ子さんが急逝されている。

そんな大切な2人をダブらせて、
母親に子供が
嬉しそうに抱きつく様にも
奥さんとこれ以上無い喜びを
分かち合っている様にも
あの一瞬には見えた気がする。

現役時代は燃える男🔥
監督としては闘将と呼ばれ
鉄拳制裁も有名だったが、
選手の奥さんの誕生日には
花束を送ったり
その裏には絶対的な愛情も
感じ取れた星野さん。

思い起こせば、
甲子園球場優勝決定後の
監督インタビューで
「あーしんどかった」という
第一声は
チーム・体調だけじゃない
人生の響きだったかもしれない。

そして
お母さんが男社会の中、
女手1つで養ってくれた姿こそ
「窮鼠猫を噛む」に
重ねたのかもしれない。

いよいよ9月で
プロ野球は
勝負の月と言われる‼️

残りは30試合も無いが、
弱者の逆襲を期待したい
季節でもある。
  
オーストラリアのV旅行で、
40℃超えるなか
スーツ着て交流会の司会
したのも良い思い出😀

もうあの世に旅立たれて
4年も経つのか・・
阪神の優勝旅行も
遠い存在になってきたな~








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