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「学習した感」が求められている!?

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令和6年5月6日 くま日誌 482号
本ブログは、熊倉 大輔のブログです。
ひとり起業家へ毎日の気づきを発信しています。
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先日こんなことがありました。

ある学習コンテンツを作成して
リリースしたのですが、
評価、評判がいま一つ。

「分かりづらい」
というコメントも頂きました。


少し考えたんですが、思い切って
分かりづらそうなコンテンツ部分を
丸ごと削除してみました。

本来だったら、
分かりやすくするために
表現ややり方を変えると思うんですが、
工数もかかるため、
とりあえず丸っと削除。


するとどうでしょう。
コンテンツの評価が上がったんです。

ただ、難しいと思われる個所を
削除しただけです。

冷静に考えるとむしろ、
価値提供の量としては
ただ減っただけのように見えます。


にもかかわらず、
評価が上がったというのは
私としても学ぶところがありました。

私のコンテンツに
難しい箇所は求めていない
ということがハッキリしたようにも
思いますね。


自戒も込めてですが、
多くの人にとって
ひょっとして「学習した感」
が求められるということも
あるんだと思ったんですよね。

だから自分のサービスレベルの質を下げろ
という意味ではないですよ。


日本では英語学習者は800万人以上いるらしいですが、
実際に英語を話せる人は1割にも満たないと言われています。

運動に関しても、
チョコザップが流行っているのも
ガチで運動はしたくない人が
マジョリティだからってことですよね。

その他の学習に関しても
同じようなものかもしれませんね。


多くの人にとって重要なのは
「学習した感」なのかもしれない。

私も心当たりあるんですよね。。

実際にアウトプットを出さなければ
ほとんどのケースで「学習した感」で
終わっちゃうんじゃないですかね。


GW期間中も、色々な本を読んだんですが、
ある金融の仕組についての本を読みました。

理解が追い付かず、
なんとなく全体をつまみながら
読了したんですが、
読了から数日たった現時点で
内容全く覚えてないですからね。


自分が学習する側であれば、
アウトプットをする癖をつけないと
学習しても意味が薄いんですよね。

また、自分がコンテンツをリリースしたり
研修プログラムを提供する立場にある場合。

これは、学習した感に終わらせないことが
大きな差別化になるでしょう。


世の中のマジョリティが
「学習した感」を求めているのであれば、
ガチで学習しただけで差別化できるんじゃないでしょうか。

というわけで
GW明けも
粛々と積んでいきます。

いや皆様一緒に毎日、未来へ向かって
積んでまいりましょう。



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