「ギブ&ギブ&ギブ」はプラスサムの世界と相性がよい [くま日誌]274号
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「ギブ」の精神がこの評判社会ではとにかく重要になっています。よく「ギブ&テイク」ではなく「ギブ&ギブ&ギブ」の精神が肝要であるとも言われます。
自分もとにかくこの精神を忘れないよう「ギブ&ギブ&ギブ」と呪文のように唱えながら、瞬間瞬間でこの精神を思い出すようにしています。
背景にはこの世の中は「プラスサム」あるということをおさえておく必要があります。
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ゲーム理論や経済学の文脈で「ゼロサム」と「プラスサム」という言葉が使われることがあります。
「ゼロサム」というのは「差し引きするとゼロ」になることで、誰かが持っているものを失い、別の誰かがそれを手に入れれば、富は全体として増えることもなければ減ることもないという世界です。
戦争により他国の土地や資産などを奪うことにより、他国はそれを失うことになります。
もう少し単純化すると「お金持ちになりたければ他人の持ってるものを奪う」ということですね。
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それに対して「プラスサム」とは差し引きしても全体がプラスになるゲームのことを指します。
畑で野菜が自分では食べきれないほどたくさん採れた。そのままですればそのまま腐らせるしかない野菜を、漁師さんがとった魚と交換する。
こうして農家さんは新鮮な魚を手に入れ、漁師さんは野菜を手に入れることができた。
こういった「交易」というのは典型的なプラスサムのゲームであり、この例の場合、無駄になるはずの資源を活用し取引全体としては富が増えています。
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私たちの仕事というのはものすごく単純化すると、自身の強みを活かし、他者の強みと交換している「交易」であると見立てることもできるのではないでしょうか。
現在のほとんどの仕事というのは、このような「プラスサムの交易」から生まれています。
そのように考えると、テイクという考え方はこのプラスサムの考え方には馴染みが悪いように思います。考え方のベースとしては、全体の増えた富を分け合うというようなイメージになりますかね。
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とはいえ「ギブ&ギブ&ギブ」とギブばかりしていれば、自分のものが減り他人のものが増えていくわけですから、実際問題、自分の富は減っているのでは? と考えられる方もおられるかもしれません。
それは、ギブをするものを有限のものとして考えてるからではないかと思います。例えばお金であれば、資源が有限なので先方にあげてしまえば自分の貯金は減ってしまいますよね。
一方で資源減らないモノもあり、それは「情報」と「人脈」の2点なのではないでしょうか。
いくらあっても減らない「情報」と「人脈」の2点が最も価値の高い、プラスサムの交易の社会にフィットするギブなのではないかと考えています。
■まとめ
・世の中の多くの取引は全体としての富が増える「プラスサム」のゲームである。
・「プラスサム」のゲームでは、「ギブ&ギブ&ギブ」という考え方と非常に相性が良い。
・その際、有限なものギブをするのではなく、いくらあっても減らない「情報」と「人脈」をギブするということを意識してみてはどうだろうか。