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「止める」の範囲を広げる。[くま日誌]221号


アプリで将棋をすることにハマっていたんですが、昨日、サブスクを解約しました。

結構中毒性がありまして、1日3回までは無料でプレイできるのですがそれ以上は月500円の課金です。負けると悔しくてもう1回プレイしたくなりますし、勝ったら勝ったで「今日は調子いいわ」ということでもう1回プレイしたくなるんですよ。

結果、気づくと10局とかやってて、1時間も2時間も時間が経過している感じになります。


最初は、楽しみで始めたんですが、最近少し、時間資源が不足しがちの中で、将棋ウォーズに時間投下している状態でして、

「何のためにやっているんだろう?」

と疑問に思ってきました。心の底から楽しんでいるのであればいいんですが、「休憩がてら1局やるか」と始めてしまうと、2局、3局・・・とズルズルやり続けてしまうんですよね。中毒ですね。


少し引いてみると、私たちは全員平等に持っている時間という資源を使って、金融資産や社会資産に転換しているとも考えられます。

この中で最も希少性が高い資源が時間資源ですよね。この時間資源を自分のやりたいことに集中投下することが最も重要なことなのかもしれません。

私たちには、「新しいことに挑戦する」ことが常に求められますが、そのためにはこの希少な時間資源を投下していくことが求められます。


この時、反対側にある「既存のなにを止めるのか?」という問いも同じく重要なんですよね。

これはもう仕方ないことなんですけど、勇気ある撤退をせざるを得ないこともあります。

冒頭の自分の将棋ウォーズであれば、まぁ大した事じゃないですし、分かりやすい事だと思うのですが、リスクとリターンの関係を当てはめて考えてみれば、

【より依存度が高い対象を手放すこと(≒手放すリスクが高い対象)で、より人生に大きなインパクト(≒人生に対するボラティリティ)を与えらえる】

のではないでしょうか。


例えば、「(一部の)人間関係を止める」はどうでしょうか?
また「(一部の)仕事を止める」はいかがでしょうか。

これがバーベル戦略で言う所の安定のバーにボラティリティを突っ込むという意味なのかもしれません。

多くの時間を投下しているという所、将棋ウォーズ的な(それはそれで大きいのですが些末な)所ではなく、メインの所ですね、

今まで必要だからやっていたという所を疑ってみる、それを一部止めてみる、というのは(劇薬ですが)面白い試みになりえますね。


「始める/挑戦」よりも「止める」にフォーカスしてみる、「リターン」よりも「リスク」にフォーカスしてみる、「購入」よりも「捨てる」にフォーカスしてみる、

など光の部分ではなく、その反対側にできる影の部分にフォーカスしてみるという問いは、自分では気付かなかった盲点に気づかせてくれる一つの契機になるかもしれませんね。


将棋ウォーズに限らず、自分にも、もっとハードルが高い止めることがあります。それはすでに他人を巻き込んでいる活動なだけにハードルが高いのですが、、、どうしても止める必要がある事なので乗り越えて前に進んでいきたいと考えています。

■まとめ
・時間的な制約がある以上、「新しいことに挑戦する」はイコール「既存のことを止める」になるはずである。

・「既存の止めること」の範囲を徐々に広げていくことで人生のボラティリティを上げることができ、より充実した人生と同時に高いリターンを手にすることができるのだ。

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