f f f -フォルティッシッシモ- 4回ノックする女、マスケット銃を奏でる女、戦争の顔をしていない女

雪組公演を見ました。
メモポエムです。ネタバレがあります。

向こう3年は第五や第九を聞くと泣くだろうと思います。

ベートーヴェンがさまざまな挫折を経てなぜ第九を書き上げるに至ったのかと言うはなし。
ベートーヴェンとナポレオン、ゲーテが話を動かす。ゲーテはホレイショのように全てを見届けるひとっぽかった。

何もかもすっ飛ばして最後の話。
全てを失い最後の灯火が消え、ナポレオンと邂逅するとき。
ナポレオンとルイは音楽と戦争に近似を見出す。それは陽キャと陰キャが意外な共通項で盛り上がるような高揚感。
でもそれって戦争も音楽も等しく人々を遠くへ導く力をもつがため、"不幸"への引力たり得ると言うことだ。ナポレオンもルイも戦争と音楽のおかげで大不幸じゃないか。

美しい旋律と隊列が爆撃音で乱れ、謎の女はコルシカ島からマスケット銃を抱えて再びルイの前に現れる。その時ご丁寧に銃を奏でる。まるでマンドリンか何かのよう。

全ての武器を楽器にしても、その楽器が戦地へ人々を扇動させることがある。なんてしたり顔で言うまでもなくいく人もの人が言っていることだ。大抵の軍隊に音楽隊はあるとか、マッドマックスの火吹きギターマンのこととか。

己が触れた全てが、生きていればその先が、"可愛い顔"をした女に通じていることにルイが気づいたから、女はマスケット本来の機能を果たそうとする。それが救いだと言う。おそらく"不幸"が与えられる唯一の救いが命にとっての最大の不幸ということ。
多分ここで救われたのがエリザベートの物語だと言えると思う。だから私はこのfffはあるいみエリザベートのアンチと言ってもいいと思う。

でもそうしなかった。ルイが諦めから第九を書いたのではなく、どん底ではっきりと全てを許したから、第九が生まれたのだとした。
4回ノックする女、第五を捧げた女。ルイは劇中ずっとパパパパーンと運命を口ずさみ続けている。

全てを受け止め許した先に生まれた歓喜のうた。不幸さえも愛しんだ果ての旋律。音楽への絶望も乗り超え、ルイの父親とメッテルニッヒが肩を並べて高らかに歌い上げる風景。ほんと?こんな美しい高みに人は至れるのだろうか。私は憎い人を指折り数えて絶望した。兄弟愛は遠い。

ときに、ピンクのドレスを着た謎の女は不幸の甘美さの現れなのだろうか。上田久美子先生は真摯なあまり意地悪なので十二分にあり得るなと思ってしまった。不幸に酔う自分にはとても覚えがある。あの変な高揚感

いろいろ、いろいろな意見があるだろう。そら、ロッシーニが好きな人だっている。
私はこれが見れてよかった。退団公演を黒い外套でほとんど過ごすトップスターがいていいと思う。最終的には過去のどんなトップコンビより濃厚に交わって終わってるんだから文句なんかなかろう(ある意味エヴァっぽくない?新劇みてないけど)
ありがとううえくみせんせい。脚本集出してください劇団。インタビューも載せてください劇団。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?