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外から見たコルクスタジオフェスを個人的に振り返る

自己紹介とはじめに

現在(株)コルク代表佐渡島さんのYouTubeの切り抜きチャンネルを、誰かに頼まれたわけでもなく勝手に趣味でやっている。人気はない。1ヶ月以上更新してない…。

コルクスタジオフェスへ行ってきた。漫画家でも編集者でもないけど、チケットが販売された日のうちに6時間ぶっ通しの席を即確保した。

ボクは昔コルクラボというコミュニティに在籍していた。
サディとの面識はラボであったし、なんならそこで彼女を作ったりフったり復縁をかけて元恋人同士で交際を振り返る共作noteなんかも連載していた。(現在非公開)

そして漫画家の方々もそれなりに、ボクは勝手に知っている。
昔ホリプーさんに似顔絵を描いてもらったり、根津にあるカレー屋ラッキーで、つのださん・やじまさん・羽賀さんらのファンミーティングに何度か参加していた。
そしてマンガ動画専科で、コルクのマンガ原稿を実際に触りもした。

何かしらクリエイターになりたいのと、もとよりマンガを読むのが好きだったから、コルクの漫画家を目の当たりにできる機会はとにかく漁っていた。


さも皆さんと知り合い口調で書いたけど、コルク周りにたくさんいるただのファンに過ぎない。でもそういう流れがあったから、このイベントに参加するのは別段不思議な話ではなかった。

そう前置いて、ここではボクの感じた6時間を記そうと思う。
断続的ではあるが、それこそ奇しくも3年前から追いかけているボクは、結果として、初めてコルクスタジオに入りたくなった。言った通り漫画も描けないのに、だ。

この記事はそこにたどり着くまでの気持ちを勝手に思い出す作業である。
参加してない人には届きにくい内容だけど、読んで得もない文章であることは約束しよう。

映画『コルクスタジオフェス』

この映画は喫茶店でぬるりと始まった。「コルクスタジオフェース!」とバラバラの掛け声を合図に。
もしかしたらペンライト持参必須な応援上演回だったのかもしれない。

いかがなものだろうか。
始まるまでにNO MORE 映画泥棒の映像すら流れない。けしからん!今どきどんな映画館だ、と思ったけど何度チケットを確認してもこれはトークショーだったし、場所は銀座のカフェMAMEHICOだった。

この作品は6つのストーリーからなるオムニバス映画らしかった。文字数の関係上6つすべてを振り返りはしないけど。

1つ目は編集者が三人で話しをしていた。テーマは自分達がWebtoonという漫画の新たな形の創作についてやってきたことと、これからの課題。これは掛け声同様、いい感じにバラバラだった。

初っ端の60分、しかも漫画家ではなく進行能力も低くないはずの編集者三人が、割としっちゃかめっちゃかに話してくれたのである。話の順序が前後したり、クエスチョンにクエスチョンを重ねて返答が外れてく感じなんかは、いかにも生のコミュニケーションだった。

でもそれが聞けてサイコーだった。気取った制作発表会を今はお求めじゃないので。そして別にグダグダな話し合いでも決してなかった。良い支え役が居たのだ。

6時間全体を通して言えたことなんだけど、編集長の後藤さんはやっぱりとても場を取り持てる人だった。
彼はスピーカーとリスナーの両方の速度や温度をチューニングしながら、カンペを見ながら、さらに自分もその場で思案を出していくという高度な技術をもっている。
面識は皆無でも、サディのYouTubeでよく見る光景だったので、それが再現されていて面白かった。


映画館っぽいでしょ



一方でサディもサディだった。

切り抜きチャンネルをするにあたり、ここ3ヶ月ほど佐渡島庸平が発するnote・voicy・YouTubeをボクはずっと追っている。

するといくら読解力のない、側近の会社の人間でないボクでも、サディの考え方はなんとなく掴み取れてくる。それはひとえにサディが何度も何度も言葉にしアウトプットして、伝えているからだ。

だからつまり、結局あの場で話されたこともきっと、その延長にある程度のことで、いきなり別次元のオシャレな物言いなんかじゃなかったと思う。外で聞いている人間的には、いつも通りだった。

その姿が久々のオフラインでも、あるいは公的な場においても感じれて心底安堵した。
これはサディの唱える「安心」のような気もする。

いつも通りのことをまた聞けた安心。
でもボクはもう一つ別の、答えのような安心を実は欲しがっていた。

逆に言うと、個人的に超勝手な不安を抱えていた。それはコルクのやろうとしているWebtoonの輪郭が、現状『おばけと風鈴』以外あまりに不明瞭だった点だ。情報統制してるのかな?ってくらいに、外に何も出てない気がしていたから。

でも杞憂だった。もう一つの不安もボクは払拭された。

具体的な内容で言うならそれは『Webtoonに拐かされない』というサディの単純な姿勢だった。
実はボクはこの話が聞きたくて参加していたくらいだ。

サディ勝つ気あんの?問題

コルクスタジオは長い時間をかけているなーと素直に感じている。作る側ではないから尚更そう見えるのかもしれないし、前述の通り情報が全くないのもそれに拍車をかけているのだろう。

前回コルクスタジオ船出とも言える二作『コッペくん』と『りさこのルール』がLINEマンガで連載が始まるまでも、何年も時間がかかったことはよく聞いている。

よそ者らしく冷たく端的に言うと、その結果どちらも半年ほどで連載が終わった。

結局失敗しちゃったじゃんかー、なのにまた長い時間作家を拘束して〜作品も出さず〜勝つ気あんの?

そこまで言えばいよいよアンチにさえ思えてくる。アッチイケ。

今にして思うとわざわざそれを知るために、土曜日の6時間3000円を支払って現地に出向くってパパラッチみたいだな、と我ながら呆れる。
でも本気で知りたければ、その場にこの足で出向くのはフツーだと思う。

失敗と呼ぶべきかはわからないけど、小さくこける設計をしたくならないのかな?
長い時間を支払って一回の失敗より、多くのトライアンドエラーをこなしつつやっていかないのかな?

アンチのつもりはなくても、それぐらいはずっと気になっていたことだった。

昔ボクが編集した動画
サディやつのださんほどじゃなくても
終わってしまい本気で悔しかった

Webコンテンツありきか、創作始まりか?

話はフェスに戻る。
最初の編集者三人での話の中で、ボクが入り込めたのはもう一人のスピーカー佐野さんだった。聞きたいことを聞いてくれたとも言える。

佐野さん「今のWebtoonって何がトレンドなのか、どういうものが今の市場にウケるのか。ある程度短いスパンで(作品を)どんどん出していくスタジオが多い。あえてコルクスタジオがそこを取らないのは…?」


サディ「そこは取ってる。でも(今は)時期が違う。創作する時ってしっかりと普遍的に残る物を作らなきゃいけない。2年とか3年企画してて、いよいよ世に出てくってタイミングになったら__

バナーは今LINEマンガやピッコマではどんなのが流行ってるのか?
タイトルのあり方ってどうかな?絵の演出ってどうかな?
っていうマーケティングは、世に出す最後の最後数ヶ月のところでやり出す。

マーケティングから自分達の欲望は起動されない。
マーケティングは全ての中で最後にやる行為であって、マーケティングそのものを否定しているわけではない。世の中のトレンドを知りつつ、タイトルの付け方などを合わせにいくことなんかは、絶対にやらない限りヒットしない」


「佐渡島さんは長い間隔で物事を見ている」
後藤さんが途中何度かそう言っていた。

多分そうだ。サディと他の人との時間の間隔や感覚がそもそも違うんだろう。「web」や「現代」という測りでは「遅い、長すぎる」と捲し立ててしまう。ボクもその一人だ。

それってどこかもう機械的な生き物なのかもしれない。急くように連続的な普通を求め、効率的で瞬発力ある面白さを求めるだけの在り方になっていないか?

サディはいつも作家に人間的にどうなのか、人間を描け、とばかり言っているのに。


サディ「追い立ててる中で物作りなんかしても、コミュニケーションは深まっていかない。コミュニケーションが深まっていかない中で多くの人間と働いていると、どんどん疲弊していくだけじゃん。

それに対してコミュニケーションが深い人とコミュニケーションを取ってると、それ自体が喜びだよね。人間たちが互いに磨かれながら同時に成熟していくこと自体が、仕事とセットになるように。それができるようなチームをどうやって作るのか?ってことだと思う」


フェス中のスライドに映ったコルク内のSlack。
各編集者の名前の横に並ぶ【B・C・E 戦個共内最】などの暗号が解読できる身としては、やっぱり一貫してチームやコミュニティの作り方を実践して学んできた人なのだと、その言動込みで改めて思い知った。

その男、見ている

開演前、ボクが会場の席に着いてから15分は暇があってボーッとしていた。隣席する方々と口もきかず、マスクしたまま待っていたら斜め背後から顔を覗いてきたのはサディだった。

「………えんか?」

おおーすげぇ。最後にリアルで見たのはコロナ禍以前なのに、マスク越しでも当ててみせた。彼は人と出会いすぎて脳内アドレス帳がパンクしてるはずなので、なかなか驚いた。

「ここ最近切り抜き動画やってないな?」
文字にすると威圧的だけど全然そうじゃなく、むしろしっかり姿を見てくれてる父みたいな感じだった。笑ってたし。

一応現時点では、サディの切り抜き動画を作っているのは世界にボクだけかもしれない。公認の二次創作とも呼んでいる。だからか、サディも気にしてくれている。

見てるよ

監視のプレッシャーなんかじゃなく、クリエイターとして気にかけてくれているのがボクは本当に嬉しい。

後でもう一度サディが通りかかったときに
「note面白かったよ」とも言ってくれた。
前述の元カノとの連載noteだ。当時わざわざチップもくれたし、一年前のことを今も覚えてくれているとは……

…担当漫画のストーリーをかなり忘れる系編集者であることをボクは知っているが。ハハハ


忘れた頃の一括の反応でも
「見てるよ」って
コミュニケーションに積極的な姿勢を
示してくれれば、それが励みになる


他のWebtoonスタジオの募集を見ていると、大体はいかにも新しい媒体にふさわしい経営体制を持っているように思う。
それはクリエイターへのリスペクトだ。

クリエイターが存分に創作を続けられるように、原稿料の仕組みを明記しているスタジオが多い。待遇や契約の種類を複数用意したり、不採用なら他所に持って行ってもいい企画書コンペを定期開催しているところもある。

クリエイター想い。

コルクはどうなんだろう。こればかりは外の人間が語れる話ではないけど。「作家のことを考えている」という言い方なら嘘にならない。きっとそこはサディも胸を張ると思う。

あとはそしたら、どのくらいの人数のチーム感やコミュニケーションへの造形を設定するかで、価値や評価は違って当然かもしれない。

誰もにふさわしいスタジオである必要は絶対ないと思う。カラーがあるということは、向き不向きがあって当然だから。辞める人がいる方が人間の営みとしては自然だしね。

でも、一人で何かしてばっかりでコミュニケーションに飢えてる身としては、作家も編集者もめちゃくちゃ羨ましく見えたんだよね。
「仲間っていいな」とかじゃなくてさ。
そのスポーツをやっている同じ競技者と日々ぶつかり合える環境的な。
独りって辛いから。

コミュニケーションと向き合うってつまり、人間力の高さだと思う。AI創作に吸収されていかない部分かもしれない。
個人的には人間臭くありたいので、だからコルクに憧れを持った。
いや、本当は書ききれない情感がまだいくつもあったけど、ここには書かない。


このスタジオの栓が勢いよく抜けるにはまだ時間はかかるだろう。
でもその中で人知れず人間たちが交わしている会話の結集を作品として見れた時、あの日の映画でキャラ達が不完全ながら話していたことや、飲んだコーヒーの味でも思い出すんだろうな。

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