親の誕プレ・ジブリのCDを免罪符に

親の誕生日プレゼントに最近リリースされたジブリのカバーみたいなCDを贈った。

単に季節柄というか、最近出たって要素が自分にとっては大きい。おにゅーって意味より、2023年11月って今をピン刺すところに意義がある。

時世としては完全にネット上のデータで渡せるっちゃ渡せる。ボクも絶賛ストリーミングサービスでしか音楽は聴いてない。還暦を過ぎた母だけど、なんとかミュージックと冠するアプリをスマホにダウンロードさえできれば、ギフトは簡単そうだ。

まあでも、このジャケットのCDをモノとして渡したくなるのはボクだけじゃないだろう。それによく昔、車の中に流れていたのもそういえばジブリソングだった。

この青とトトロのコンパクトなモノに、確かに懐かしさを抱く。(もっと古いかと思ったけど、意外と発売は2008年11月らしい)

…いや映画の冒頭のシーンと記憶が混濁してる説もある。それさえ不確か。

テレビを捨てたのが20歳の頃で、金ローも見れなくてもう一生縁はないかと思ってたら…コロナ禍にリバイバル上映されるもんだから、3作ほど映画館に行った。あれは良かった。

んで今年『君たちはどう生きるか』をチケットだけ買ったものの、急用にてドタキャン×2 。なんだかなあ。観たかった。

誕プレの味が知りたい

親がまた一歩老け込む2~3日前、ボクも歳をとった。というかそれに合わせて親が贈ってくれた電気シェーバーがなければ、こんなお返しもなかった気はする。

ここ3年くらいヒゲ剃るのがかったるいから、マスクの下にボーボーに伸ばしたボクへの牽制だろうか。それとも近ごろ転職したゆえ、クリーンな状態を保つ必要があるボクへの祝いだろうか。

興味はない。誕生日そのものに興味がない人間だ。
そういう味気ない人生だ。

いや、誕プレに罪はない。そんな主張じゃないんだ。
ボクはただ、母がくれたら自分も渡すという磁石的なシステムに対して、イヤに磁場的なパワーを喰らってるだけなんだ。

もうちょっと離れてくれたっていいじゃないか。プレーンに祝わせてくれよ。と愚痴垂れるけど、この愚息はそんなに親孝行してもいないから、やっぱりそれも嘘くさい。


ボクが一番好きなあだち充作品は『クロスゲーム』なんだ。

同じ日に同じ病院で生まれた幼馴染と毎年誕プレ交換を約束したのに、小5の時点でヒロインは亡くなってしまう。亡くなった後も、主人公はちゃんと指定された「20歳までの誕生日プレゼント表」通りを贈り続ける。

ひとえにそれを健気とかステキとか言う気はない。そういう人にとっては、この先のボクのトーンがキツいと思う。

『クロスゲーム』は喪に服した主人公が野球に熱中しながらも、同じく彼女を亡くし遺された三人の姉妹とその呪いを共に背負うような話でもあるから。『タッチ』と同じかどうかは読んで感じてみてほしい。


ボクがこの記事を書きながら音楽を流しているヘッドホンは、いつかの元恋人にもらった誕生日プレゼントだ。そういえば『もののけ姫』を観た隣の席にもその人は座ってた気がする。1年半もせずに別れた相手だ。

別れたからといって捨てないし、ぞんざいに使うわけでもない。丁寧な手入も一切していないけど、週5~6回で頭の上に乗せ続けている。故障なんてしたことのない製品の頑丈さにも感服する。



使い始めて4年が経つ。ボクはこれがぶっ壊れるその日を、待ち望んでいる。


この耳当てから何も聞こえなくなる日に、ボクは何を感じるか知りたい。その日のうちに、不便だからと百均にイヤホンでも買いに行くのか、ボクはその日のボクに興味しかない。


モノのあはれか、哀れな人か

読んでるあなたにはわからないんですけど。


だって、肉親以外に貰う最後の誕プレなんだし


現在地を知りたいボクは

19歳、大学を中退。まもなくトヨタ自動車に期間工として入社する。
愛知県田原市の会社寮に居住む。一室には畳六枚と布団と小型のTV&冷蔵庫。深夜も早朝も、フロア真ん中の共有部の洗面台でオッサンがえずく後ろで、そそくさと用を足す。

環境や仕事でいい顔してなかったとは思う。元々激務で、最初のひと月でちょうど10キロ痩せた。真夏だったしあんなに汗をかくのも久しぶりだった。無論「仕事」と呼ぶに値する行為における最大降汗量は観測史上最大だった、と思いたい。

大学を辞めたからそうなんだけど、横が見えなくなった。それは同じ世代の人々のことを多分指す。みんな一様に新卒でどっかに入社して行くんだとか、鳴物入りで日本ハムに入った大谷翔平さんみたいな存在とか、ボクとしてはどっちもどっちだった。

人様なんて他人事なのに、いざカイシャでシャカイジン始めたとなって、目に映るものが灰色になって、言い表せない日々と足元が毎日あった。

そのうちハタチになった。感慨はなかった。誕生日に日付が変わった瞬間も、回転寿司のように目の前を回るレクサス等のクルマに取り囲まれていたし。

それまで組の飲み会でオレンジジュースを頼んでいたけど、だからと言って一番好きな飲み物をチェンジしたりしないし、次点で好きなコーヒーの派生らしいカルーアミルクに手を伸ばしてみたくらいの変化しかない。

それでもなんか、自分はやはりその時をピン留めしたいらしい。

同じ20歳の人を見やりに行った。同世代で誰か著名な人、ということでももクロか家入レオさんが検索にヒットした。音楽ライブなんか行ったことのないボクが、ももクロだのモノノフだのに怖気付いたこともあったけど…

家入レオさんが『20 twenty』というアルバムを出し、同名のツアーを行なっていたのが自分には刺さったんだろう。とりあえずまあ最寄りらしい名古屋公演を聴きに行った。

はっきりと覚えてはいないけど、意味ある行動だった。
ライブ会場を表立って揺らしながら、目に見えない部分に大勢いるであろう大人方に支えられながら対等な「仕事」をしていることぐらい、この灰がかった眼にも読み取れた。

二階席の端ぎみにポツンと一人、あのステージまでの物理的な距離と光の眩さを勝手に喰らっていた。でもそういうポエミーな青さがどうでもいいぐらい家入レオさんの歌声が好きだった。惚れた。

今回の『ジブリをうたう』で彼女が『君をのせて』を歌ってなきゃ、今回のプレゼントに選びはしなかった。

大谷さんや藤浪さんや鈴木さんが海の向こうで野球をしようと、羽生さんが結婚してその相手を徹底的に明らかにしたがる人類が国内外に山ほどいても。

誰かもまた同じく、しずかに歳食っていくわけである。

94年に生まれてよかったと思う一方で、彼や彼女を誇らしく思うのもキモいと思う。少なくとも誰とも関係性のないボクは、そんな虚勢を持つべきではない。


それでも母がくれたのが灰がかった目ではなく、あの眼差しだったと。それがプレゼントだったと。大ウソでもいいから、今はピン留めしておきたい。





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