19年と366日

20歳になりました

とりあえず言っておきます。
ありがとうございます。

私は20歳になったら死のうと思ってました。
最初から爆弾発言してごめん。
死のう、というよりは寿命が20歳を迎える誕生日で来てしまうことにしてしまお、って感じ。
理由は普通に生きるの辛いのに死ぬの怖いから。
なんかしらきっかけがないと死ねないと思って、なら大人なりたくないしキリいいし20歳の時でいいや、と思ってここ数年生きてた。
ここ数年生きられたのもこの考えのおかげです。いやガチで。
逆になんでみんな寿命いつ来るかわからんの怖ないの?って思うたまに。
なんか宗教開く奴の思想してんなと思います。
開きません。開いても開祖なんかダルすぎるからしません。誰かに任せます。

まあそんなこんなで20歳になりまして、1番最初にしたのはもちろん合法酒ヤニです。
んで彼氏さんに1番に祝ってもらいました(次の日も仕事で眠いやろにホントにありがとうね)
そして今。
誕生日に起きて1番最初にやることと言えば誕おめメッセージの確認じゃないですか。
ありがたいことに色んな人から誕おめメッセージやプレゼント頂きまして、ホントにありがとうございます。
まあその中にお母さんからのメッセージもあったんですね。
そこにさ、生まれてきてくれてありがとう、って書いてあんだ。
私なんでか知らんけどその言葉にめっぽう弱くて、いやめっぽうとかのレベルじゃないくらい弱くて、まあとにかく弱いのよ。
朝から号泣です。いやあ泣いたね。

今日はその話をしようかなーと。

あの話をする前にとりあえず私の追い立ちを。
絶対長くなる。許して。

私は幼少期から高校卒業くらいまで、親から褒められた記憶がないです。ホントに1ミリも。
これに関してはお母さんだけじゃなくてお父さんもであり、なんならお父さんの方がイメージ悪い。ずっと。
記憶力いい方やからか知らんけど幼稚園くらいの頃の記憶がそこそこ残ってて、それ思い出すと
・親が喧嘩してお母さんが家出して私が大号泣してる記憶
・滅多に風邪ひかないお母さんが風邪ひいてめちゃくちゃ辛そうなのにお父さんのご飯の準備して、なのにお父さんは大丈夫かの一言もなくご飯食べる記憶
あれ?親の関係悪すぎでは??
親の関係が悪いからこんな子供になるんですよね…ハハ…全部を全部親のせいには絶対しませんけどね安心してパパママ
まあそんな感じで宜しくない幼少期を過ごしまして、何となく既に人のご機嫌を伺える子供に育ちました。

そして小学校へあがり、小5の時にいじめというものに遭遇しました。
実際に初めて受けたいじめは幼稚園の1番上の学年なんだけど(その時は友達になんか投げつけられて私ロッカーに頭から入って背中向けて隠れてたし迎え来たお母さんに笑われた)まあクソガキだからなという私の寛大な心のおかげでカウントに含んでない。けどいじめだよアレは。
小5の時のいじめ、何が原因か全然わかんないんだよね。
覚えてないってのもあるけど解明する前に先生に無理矢理解決させられた気がする。
加害者はいじめが始まる数日前まで仲良くしてくれてた男2人女1人の3人。
みんな家も近くてワイワイしてたんだけど、6月のある日突然私だけ無視されるようになった。
そこから聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で悪口言われたり、他の友達にもなんか吹き込まれてクラス内でぼっちになったり、1番最悪だったのは放課後家の前にたむろされることだった。
母方のおばあちゃんも一緒に住んでて私はそのおばあちゃんが死ぬほど好きなんだけど、そのおばあちゃんには絶対いじめられてること知られたくなくて(まあお母さんにも先生にも知られたくなくて誰にも言わず2ヶ月我慢してたんだけど)、なのに加害者たちが家の前たむろするからおばあちゃんが「あんた友達おるじ?遊ばんのかい?」って善意で聞いてくれて、私はその善意にも友達にもムカついてでもおばあちゃん好きだから声荒らげたり絶対したくないから「今日は勉強する!友達はほっといたらどっか行くから!」て言って家のカーテン閉めてた。まだ15時過ぎとかなのに。今思えば悲しい小さな抵抗だったな。
このいじめに関するお母さんの記憶って全然ないんだけど、なんかめちゃくちゃ怒ってくれた気がする。加害者だけじゃなくて先生にも。
先生さ、私に何言ったかって「お前にも悪い面があったからいじめられたんだ。加害者に謝れ」なんだよね。
あの頃はあのいじめが終わるならなんでも良かったから謝って頭下げたけど、今思い返せば理不尽極まりないよね。
なーんで私が悪いんだ。何もしてないし被害者は私だし私が謝る理由ねえだろ筋肉だけのアホ教師。許せん。顔だけは良かった。
まあ中学卒業くらいに気づいたんだけど、加害者3人とも私をいじめてた頃くらいから親の不倫とか離婚とかそういうのに出くわせたみたいで、まあならしゃーないかという気持ちもある。
過ぎたことだしどうしようもないからね、しゃーないかと思って封を閉めるのが1番いいんだよ。
でもお母さんが先生にあんな怒ってくれたの嬉しかったなあ。あの時は小っ恥ずかしくて無理すぎたけど。
結局なんでいじめられたの?っていうのはね、八方美人してた私が気に食わなかったんだと思う。
その後八方美人するのやめたらそれはそれで嫌われたけどね!!生きにくすぎこの世!!!

んでそれで中学生になって、そりゃもちろんいじめられましたわよ。当たり前でしょ。
とにかく自分の見た目に関心がなかったあの頃、死ぬほどブスだったからそりゃいじめの対象になるわなという感じ。しゃーねえ。
でもそこで仲良くなった出会いは小学校の頃からの親友ができます。その頃は親友じゃないけど。
お互いに同じ相手にいじめられるという経験をし、中3の時学年でトップレベルで頭が良かった親友の勉強を見れば私も賢くなるのでは?という謎の思考で昼休みとかに勉強を盗み見てたことでそこそこ仲が良くなってた。盗み見のおかげで高校大学受かったと言っても過言じゃない。ホンマにありがとう。
そいつとは今でも連絡してるし旅行行こうって話もしてる。
ちなみになんやけど春先旅行行こって言ってたの無理です。金ないし寒い。すまねえまた今度だ。

いーっつもこの量の文書くと飽きる。

中学の頃はめちゃくちゃ迷惑かけたしめちゃくちゃ反発したな。馬が合わなさすぎた。
あの頃の私は勉強の面白さがまだ分からず、好きな授業は楽しいけど嫌いな授業は死ね!って思ってたし嫌いな授業は保健室行ってサボってた。
宿題一瞬で終わらせて(なんなら学校で終わらせてしまって)家では一生ゲームしてた。
そしたら中学2年過ぎくらいから成績が悪くなってきて親にゲームを制限された。そりゃそうだ。
だけど私は猛反発。「ゲームないなら勉強しない!」「ゲームのために勉強してたのに出来ないなら何もしない!学校行かない!」
親もブチキレ。「じゃあ行かんとけばいいやろ?!(行かなかったらクソ怒られるヤツ)」「ゲームあったら勉強せんげんからゲーム没収や!」
もうすごかったね。懐かしいね。
結局ゲームは定期的に没収されてたけど、その度に私は家を漁りまくって見つけ出して親が帰ってくるまでゲームしてた。宝探しゲーム楽しかったけど宝探しって感じじゃなくて命懸けだった。
あの頃はお互いにおかしかったね。私はゲームしか生き甲斐がない感じだったし、お母さんはゲームがあったら私が高校行けなくなるって思ってそうだった。
結局お父さんにチクられて人生初契約書(?!)書かされた。中3で契約書書く子おらんのよ。
内容は勉強3.4時間したらゲーム1時間できます、約束破ったらゲーム売ります、的なやつ。
勉強3.4時間に対してゲーム1時間って短!?は!?ってキレてたけどそしたらお父さん「んなら今すぐ壊すか?」って脅してきてマジ辛かった無理。そんなんやから嫌われるんよ子供に。
そして私は無事契約を理由にゲーム没収。子供ながらにこれ破ったらホンマに壊される売られるっていうの分かって何も出来なかったし、ゲーム機(=その当時の唯一の息抜き要因)が手元にないのが本当に辛くて余計に勉強しなくなった。
辛すぎて勉強なんか頭に入らないからご飯食べて風呂入った後爆速で寝てた。
全国の皆さん、子供大人関わらず人の息抜きを取り除くのはやめましょう。
人格が変わります。頭おかしくなります。
そしたら2年の頃の誕生日に音楽プレイヤーをお母さんがプレゼントしてくれた。
お母さんもゲーマーだったからゲームできない辛さを理解してくれたんだと思う。
私が音楽大好きなの知ってたからゲームの代わりにってこれをプレゼントしてくれた。
あーなんか、書いてたら泣きそうだわ。
私が音楽という存在を愛するようになったのはこの音楽プレイヤーのおかげだし、お母さんがゲームの代わりに音楽と触れ合えるものをくれたことにも泣きそう。
なんかさあ、お母さんくれるものってホントに人生に影響してんなあって思う。
ゲームも音楽もお母さんが触れる機会作ってくれてるじゃん。ありがとうホントに。
まあそんなこんなでその音楽プレイヤーを新たな息抜きとして高校受験を乗り切った。
そんなこんなに含まれる事象多すぎるんだけど、既に文字数3700超えてるからまた今度で笑

そして遂に高校生。波乱の3年でした。
お母さんに弓道を教えた先生が弓道部にいるということで顔を出したら弓道めちゃくちゃカッコよくてさ、部活入ったはいいものの死ぬほどセンスなくてみんな上達する中私だけ下手なままなのが辛くて1年でやめた。
クラスで固定の友達ができず浮いた。クラスの一軍が小中仲良かったから絡んでたら二軍にいじめられた。
1年生の終わり頃起立性調節障害(結局ホンマにこれやったんかは不明のまま)になって不登校。朝意識が来る瞬間に震度6強くらいの強さの頭痛も一緒に来てまともに喋れない動けない。腹痛吐き気もあったし実際に吐く日が3日に1.2回。あの頃は朝が来ることを恨んだ。
やけど逆にその病気の影響で通信制高校に転校し、クラスの子とは会わなくなくて良くなり弓道部をやめるきっかけにもできたからほんのちょーーーーーーーーーーーーーっとだけありがたい。

そこから突然、人生の道にエスカレーターが建設されて超簡単に数年生きてきた。

通信制に通いながらアルバイトをして、稼いだお金は今まで出来なかったオタ活に全額注いだ。
通信制高校は週1、アルバイトは週3、時間がとにかく有り余ってめちゃくちゃゲームをした。
それでも無事大学も決まり、留年せず高校卒業でき、貯金も幾分かできてた。

大学入ってからはエスカレーターを自分で登ろうとしてる気がする。
人生で初めて相手に友達って自信持って言える友達ができて、授業も1年半ぶりにしっかり聞いてみたりノート取ってみたり、なんかすごい楽しいです。
人生初の恋人ができて、人生初の体験を沢山して、今は最愛の彼氏さんがいて。
幸せだなあって思います。すごく。

お母さん

はー長かったね。ごめんね。
文書くの好きなんだけどまとめる能力ないんだわ。頑張ってまとめる能力手に入れます。

まあ冒頭に戻るんだけど、「生まれてきてくれてありがとう、って書いてあんだ」「私なんでか知らんけどその言葉にめっぽう弱くて」って書いてました、私。
「生まれてきてくれてありがとう」って言葉に弱いってのは、誰に言われてもって訳じゃない。
母親という存在から、私や他(その母親の子供や大切な相手)宛に言われると弱い。泣く。
なんでねんろなマジでわからん。
といいつつ何となーく記憶にあるようなないような。
中学のバチバチ時代、お母さんとお父さんのことホントに心から嫌いで死んで保険金下ろしてくれ、おばあちゃんと妹と3人で生活するわ、って冗談抜きで思ってた(今思うとそんなの無理)
その頃の誕生日に人生で初めて言われたのかな。
あの頃は何も思わなかったけど、歳を重ねたり親と少しずつ噛み合わない所を削りながら生きてたらあの頃のお母さんの屈折を理解できるようになってさ。
あの頃初めて言ってくれたあの言葉ってのがめちゃくちゃ大切なんだよね、私にとって。
書きながら泣いちゃってるもん。
あんなにお母さん嫌い!!!って思ってたのに今大好きだもん。面と面向かってはまだ言えないけど、文面では好きって言えるようになった。
2023迎えた時、お母さんからLINEで「あけおめ!今年もよろしくね」みたいなの来て、私ベロベロだったから「こちらこそー!いつも言えんけどお母さんのこと大好きやよ!酔ってるから言えた!」って言ったら「お母さん酔ってなくても好きって言えるよ!」って来てその時は彼氏さんおったから泣かんかったけど今書きながら号泣。
私も酔ってなくても顔合わせて好きだよってありがとうって言えるようになれるまで生きててください。

お父さんはマジもう取り返しがつかん程度に好きじゃないのでどうでもいいです。
いつも稼いでくれてありがとう、そんだけ。
とか言ったら怒るし車買ってくれんくなるし言わないです大好きだよ(大嘘)
お父さんへの文句はこんなnoteなんかじゃ尽きないので書きません。

最後にこれが何かって。
そりゃもちろんお母さんへのラブレターだよ当たり前だろ。
20になっても生きてたらお母さんに今までありがとうって伝えるって決めてたんだ。

ということで最後にお母さんへのラブレターを書いて20歳記念のエッセイを終わります。
長々と失礼しました。
20代も私らしく生きるぞー!!!

大好きだよ

まず、私のこと生んでくれてありがとう。
私がお母さんのお腹の中に生まれた瞬間から今まで、これからも私はお母さんのおかげで生きてます。
ホントにありがとう。

男の人の好みはあんま似なかったけど、他のとこの好みは結構似たり寄ったりで一緒に買い物するのとかめっちゃ楽しいです。
服のセンスは無さすぎです。私が見ます。
私的には我慢したりわがまま言わないようにしてるけど、お母さんからしたらまだまだ子供だと思います。
というか私が大人になっても私はお母さんの子供やしお母さんの前でだけは子供でいようかな、笑

また一緒にKATーTUNとかのライブ行こね、絶対に!旅行も連れてくから楽しみにしとって!
お仕事最近頑張りすぎやし無理せんでね!
パパばーちゃんに頼れんことは私に頼ってください!頼れるような大人になります!
お母さんのこと、この世界で1番大好きです!
これからも健康に!長生きしてね!🫶

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