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先生という名の庇護者

高校の先生のことを思い出す。担当科目は、国語? 現代文というのだったか。入学時から教わって、高3のクラス替えで担任になると知ったときは嬉しかった。

小川洋子が生理的な文章が得意というのも、綾辻行人に“あーや”という愛称があることも、その先生から教わった。山月記についても話した。先生は伊坂幸太郎をよく読んでいた。

何人かで自家用車に乗せてもらったときは、カーステレオで忌野清志郎がかかっていた。冬はくるぶしまで届くような長い丈のコートを着込んでいた。修学旅行先でウェットスーツを着るとき、先生は小鹿のように脚をぷるぷるさせながら苦戦していて、私はお腹を抱えて笑った。

人間的魅力があって、話が面白くて、大勢の生徒から好かれていた。「オレは発達特性があるかと思うけど、今になって検査したところでどうにもならないしね」とさらっと言ったり、自分の給料を時給換算して教えてくれたりとオープンなところがあって、それも先生の人間的魅力を増していたと思う。

私が一瞬、大学で教職課程をとろうかなと思ったのも、その先生をはじめとする高校の先生方によるところが大きい。が、教えてもらった時給換算の数字やブラック企業並みの働きぶりを見ていてすぐに思い直した。高校生の私から見ても先生は本当に激務だった。

苗字2文字をとって私のことをポケモンみたいに呼ぶその先生は、私にとってちょっと特別な先生だった。私の家庭の歪みに気付いてくれて、何がとは言わず「だいじょうぶ?」と気にかけてくれた。

人間関係でちょっと鬱屈としているときも、先生だけが気づいてくれて「だいじょうぶ?」。「いやいや『大丈夫』って言うけど首振ってるよ」と笑ってくれた。

面談で、オール5の通信簿を「キモッ」と言いながら手渡してくれたことも忘れていない。普通に褒められるよりもよっぽど嬉しかった。

母校は校則が厳しかったけれど、先生は「成績が良ければ干渉しない」という方針で、他の子のスカート丈を注意しても私を注意することはなかったし、ちゃんと申し出れば校則から外れることもすんなり許してくれた(寒がりの私は規定の半袖シャツに衣替えせず長袖を着続けた)。

ただ一度、校則違反なのに制服のまま寄り道をして他の先生に見つかったときは、「世のなか狼だらけなんだから。きみなんてヒョイッて連れ去られちゃうんだからね」と長々と諭された。私の卒業アルバムにも同じこと書いてたね。

いま思い返すと、先生は私をしっかりと庇護してくれていたんだなあと分かる。

卒業後に学校へ会いに行ったときに撮った、先生の“あっちょんぶりけ”のドアップ写真は今も私のバックアップフォルダのどこかにある。

それから何年も経ったけど、学校の先生というのはいつまでも学校にいるような気がしていた。

聞いた話では、周りの人を心配させるようなことは何もなく、本当に突然のことだったらしい。しかも3月末だったというのが先生らしい。先生は最後の最後まで“先生”だったんだね。

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