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犬が老いた

※犬、めちゃくちゃ元気です

このタイトルだと物悲しい雰囲気醸し出してしまうなと思って。ある意味一番身近な、我々で言えばコンビニ位の距離感の生きている上で避け切れない現象。それは老化。そしてそれは人だけではなく犬にも等しくやってくるのだ…ということをしみじみと感じたので記事として残しておくことにしました。なんか急に秋って感じだし。網戸開けてたら寒ささえある挙句、秋っぽい虫が大合奏バンドブラザーズしているし。

話はタイトルに戻りまして、犬が老いました。犬とは我が家という名の実家で暮らすマルチーズのことです。noteのアイコンの犬がそうです。赤ちゃんの頃から共に歩んできたため、私含む私の家族にとって犬は産まれてから死ぬまで白い毛むくじゃら赤ちゃんとして生きることが確定し、今日という日もまた例に漏れず蝶よ花よ犬よと生きたのだろうし明日もそうなんですけど。赤ちゃんなのに老いるってどういうことなんですかね。まだ十数年しか生きてないのに。不思議なこともあったもんだ。

犬を犬と表記するのも何やら気が引ける始末です。犬を犬と言うとすかさず訂正が入る家庭で育ちました。「犬って呼ばないでもらっていいですか?犬じゃないんで」と実の親から敬語で訂正されるんですよ。犬を犬扱いされるのが地雷な犬推し犬強火オタク、それは両親。まぁ犬にしてみれば種族で呼ばれてるようなものですからね。私達が異種族にまとめて人間呼ばわりされるようなものです。野原しんのすけだって悪役にガキとか小僧とか呼ばれたらすかさず「オラは野原しんのすけだゾ」って名乗っているし。けど、字数的にも表現的にも犬の方が円滑に進むので犬で行きます。不甲斐ない飼い主ですまなんだ、犬。

犬は私が高一の時に我が家にやって来ました。どういう経緯だったのかは忘れたけど、我が家には既に女帝(先代マルチーズ)とVシネマキャット(雑種)がいたのですが突然お迎えすることになりました。迎える経緯は忘れてるのに、犬が出っ歯を理由に一緒に産まれた兄弟達より大分値下げされてたのは覚えています。お前、明石家さんまにもその値下げ理由言えるのかよと思ったのも覚えています。もっと他に覚えておくべきことがあるはずなんですけどね。

姉の運転する車に揺られて引き取りに行った日はとても晴れていて、ブリーダーさんとは姉が話を済ませて犬はやってきました。掌サイズの犬。ワンとも鳴けずきゅうきゅうと高い声で泣いていた赤ちゃん。そんなにでかくないゲージなのに掌サイズの子犬にしてみればでかすぎて草状態。隅っこでbgmにドナドナが流れてそうな哀愁を漂わせながら、その日犬は我が家の家族になりました。初日に女帝の洗礼を受けひっくり返っておしっこ漏らしたのもかけがえのない思い出です。0歳の犬にも容赦なかった女帝も勿論あいしていました。

犬は生粋の食いしん坊で、赤ちゃん用のごはんももりもり食べ、ついでに好き嫌いの激しい女帝の食べ残しにも果敢に手を付ける不届き者でもありました。まずは匂いを嗅いでみて確かめてから食べるということもせず、とりあえず口に入れてからその先を考えようという恐れ知らずが何をするかと言えば拾い食いだったので、我が家では「犬が拾い食いして大変なことになりそうなものを犬の行動範囲に置くな」が鉄則になりました。一匹の子犬が家族の団結力を深めた瞬間でした。劇場版待ったナシ。

犬は食いしん坊のまますくすくと育ちました。大きくなってからも女帝の食べ残しや手付かずのおやつを巧みに盗み出しては食べるという行為を続け、一時期マルチーズの平均体重を大きく上回る数字を叩き出し獣医さんから「このまま太らせたら死にます」とまで言われた程です。流石にダイエットをして平均体重までダイエットをし、動物病院に行く日は少しでも体重を減らそうと画策する母に「出来るだけ病院に行く直前にうんこをしなさい」などという無茶振りをされるのが犬の習慣になりました。なんて嫌な習慣なんだ。

そんな赤ちゃんの頃から食いしん坊、多分お母さんのお腹の中でも骨ガム噛んでたに違いないと言われがちな犬も最近はあまり食べなくなりました。しかし元がめちゃくちゃ食べてたため、これが本来普通の小型犬の食事量ですと言われたらぐうの音もちょきの音も出ないです。ぱーの音は出るかもしれないけど…その日のコンディションによりますね…。それに私自身が食いしん坊なので、食べないの!?お前にとっての喜びが目の前にあるというのに!?食べないの!?となってしまいます。でも振り返るとむしゃむしゃ食べてたりするので特には心配していません。美味しいものを美味しいと感じて食べる喜びが犬にあるならそれが私の喜びです。食いしん坊、フォーエバー。

老いといえばスタンダードな脚力も堂々ランクインしてきます。かつて家中を飛び回るようにして駆け回ってた犬も、ここのところソファへの登り降りもやや上手くいかなかったりする様子。赤ちゃんの頃姿を見かけると飛びかかってきてベロベロ舐め回してくるため、ソファに座って「やーいここまで来れまい0歳児め。毛むくじゃら赤ちゃんめ」と煽っていたら知らぬ間に脚力を身につけていて駆け上ってきた挙句顔中を舐め回しの刑に遭ったのもまるで昨日のことのようです。まぁ、今も毛むくじゃら赤ちゃんですけど。可愛いギネス日々更新中ですけど。

耳も遠くなり、目は白内障で見えづらくなりました。昔は車が家の敷地内に入ってくるだけではちゃめちゃに吠え散らかして寝てる赤ん坊500人も一斉に目覚めるんじゃないかと錯覚するほどの鳴き声を町内に響かせたものですが、今は側まで寄らないと気付きません。それはそれで可愛いです。ぐーすか寝てるのでそっとしておくと目が覚めたタイミングで飛び起きて「えー!?来るなら言ってくださいよぉ!!階段までお迎えに行ったのに!!水くさいですぜ、旦那ぁ〜」とでへでへしながら腹を見せて転げ回ってくれます。いつ会いに行っても必ず喜んでくれます。何をしてもらえるわけでもないのに。犬、お前…良いやつだな…。

赤ちゃんの頃はひっくり返って怖がっていた雷も、耳が遠くなったので聞こえないのか平然としているそうです。老いとは様々な恐怖も超越していくのだなと思いました。怖いものが減るのはいいことです。自然をも凌駕する犬、いずれ森羅万象を司る食いしん坊になるに違いない。今から楽しみです。風林火山に犬が追加される日も近い。

老いとは抗えないものであると同時に寂しいものとされがちだと思うんです。確かに寂しいんですけどね、元々あった力がゆっくりと衰えていったり、弱っていくのを見ている側としたら。介護の仕事をしていても老いるとは日々寂しさが増していく状態なのだろうと感じることがあります。でも、寂しがってばかりもいられないから。

赤ちゃんの時には赤ちゃんの可愛らしさが、そこから身体が大きくなって赤ちゃんと呼べる時期を終えてもそこにもまた共に生活し生きた思い出があります。もうすっかり年寄りになった、老いたと言われる今の犬には今の犬にしか出せない良さも可愛さもあります。犬は産まれた瞬間からいつか墓場に入るまで可愛いを更新し続けるアイドルです。いつもはクールな父が浅草土産に犬に犬用の法被とねじり鉢巻のセットを買おうとした位には、60も過ぎたおっさんの正気を失わせるのも朝飯前な犬こそが我が家の不動のセンターです。

先代の女帝は心臓が弱い子でした。最後の方は体調が悪く、歩くのもやっとで、それでもよろけながら倒れながら排泄はちゃんとトイレに行くノーベル偉いで賞受賞待ったナシの偉い犬。略してエライーヌでした。飼い主には老いることで発生する様々な現象や症状にも向き合わなければいけない責任があります。お前の老いて尚気高く立派な生き様、この目に焼き付けたぜ!の心地で生きていました。母ちゃんは女帝を孫のように可愛がっていたので火葬場で鼻血を出すほど泣き、帰りのラーメン屋でも鼻血を出してラーメン屋のおっさんを困惑させました。

女帝ロスの家族を支えたのも犬でした。いつ心臓が止まってもおかしくない女帝が去った後の穴はとても大きくて深いものでしたが、持ち前の明るさで悲しむ家族のど真ん中に座って励ましてくれました。母が女帝を思い出して泣き出した時はさっと膝に飛び乗り、父がふとした瞬間女帝が丸まっていたタオルケットなどを見て寂しそうにしていると滑り込んできて満面の笑みを浮かべました。私のことも随分と慰めてくれました。よだれでべとべとの骨もくれたりしました。気持ちが嬉しいのです。要らないけど。本当に心の優しい犬です。骨は要らないけど。

よく通りすがりざまに頭をシバかれたり、登場と同時に頭から突進するなどして互いに親睦を深めていた猫とも、猫が先に旅立つことでお別れすることになりました。取っ組み合いしていると母が「やめなさい!アンタ達は姉妹なんだから!!」と怒っていたものですが、相変わらず無茶を言う奴だなとしか思われていないらしく白い犬と茶色い猫が混ざり合ってミックスソフトクリームのような色合いになりつつも仲良く暮らしていただけに犬も少し寂しそうでした。

こうして赤ちゃんの頃からいつも家族と共にあった犬なので、その犬に忍び寄る老いは正直恐怖でしかないのですが、それでも。犬という生き物はすごく人の気持ちに敏感な生き物だと思うんです。悲しんでいると慰めてくれるように、寂しい時は寄り添ってくれるように。楽しい時は一緒に笑ってくれるように、嬉しい時は一緒に喜んでくれるように。感情豊かで、それでいて賢く、優しい生き物。たまたま同じ言葉を使って話せないだけの毛むくじゃらの友達。犬は私の親友です。人間と犬の命のスピードは残念ながら違うから、どうしても後から産まれた犬の方が先におばあちゃんになってしまったけれど。犬が向かう先は寂しくて冷たい場所だと思わせないように、老いて見えないもの聴こえない音が増えたってお前は今日も最高だという事実を犬が見失わないように。実家に帰って犬に会う度、満面の笑みの犬を随分軽くなったと思いながら抱き上げて「今日も世界で一番可愛い」と言います。犬は自分の名前をかわいいだと思ってる節があるので喜びます。自己肯定感の塊かよ。眩いぜ、犬。

愛しているや可愛いが真っ直ぐな犬に真っ直ぐに届くように、ネガティブなものもきっと真っ直ぐに届いてしまうだろうから老いについて否定的なことは言いません。ソファに登れずにいたら「任せてくれよ相棒」と抱き上げるし、降りれずに困っていたら「水くさいぜ相棒」と床にそっと下ろします。すると犬はやはり満面の笑みです。前のnoteにもしれっと書きましたが、ブラック企業勤務時代首を吊って自殺しようとしたんですけど、その時も私の側に居たのは犬でした。親友であり恩人ならぬ恩犬なわけです。尽くすぜ、パワー。感謝永遠に。

私のしあわせは恐らく一つではなくて、それは趣味であったり誰かであったり場所だったり食べ物であったりもするはずなんですが。その一つ一つの中に間違いなく犬の名前が入ります。春に生まれた小さな子。赤ちゃんからおばあちゃんになるまで生きてくれたこと、私は実家を出たけどきっと今日も家族の真ん中で励ましたり慰めたり寄り添ってくれたりして生きただろう犬に。同じように励まし、慰め、寄り添って生きたいと。彼女の老いを受け入れながらそう思いました。

皆さんの家にももしかしたら同じように、種族や種類は違えど世界一可愛い不動のセンターがいるかもしれません。家族は所属事務所ですからね、弊社のアイドルも貴社のアイドルも世界一でいいんです。推していこうぜ、寿命の果てまで。

ちなみに犬のエピソードで一番好きなのはさっきまで走り回って遊んでいたのに急に片足を引き摺って歩いてきたから、心配した母が慌てて抱き上げたら肉球の間に挟まったドッグフードがころ…と転げ落ちて、次の瞬間「なんか治った!?やっほー!!!」とまた元気いっぱいに駆け出したという話です。生命力に形を持たせたらお前になるよ、犬。あいしてる。

お陰様で晩御飯のおかずが一品増えたり、やりきれない夜にハーゲンダッツを買って食べることが出来ます