雑記:新年という病

▼世間的にはつつがなく2020年が始まったようだが、昨年末から本年始の約1週間を風邪でつぶした人間からみれば、年が明けたかどうかも疑わしい。とはいえ、新年だぜイェーイみたいな気持ちが皆無なゆえ、365日(2020年は366日だっけ?)気持ちは常に平常心。別に全く気にしていない。

▼思えば、新年という言葉にも概念にも興味がない。新しい年に合わせて身も心も一新するだとか、一年の計は元旦にありだとか、「新年だから」という枕詞を以ていつもと違うことをしたがる市井の人間が皆目理解できない。むしろひどく滑稽に見える。しかも不思議なもので、そういうノーテンキな人間に限って口だけで終わるか、数ヶ月もすれば「あれそうだったっけ」と大抵忘れているもんだ。

▼冷静に考えれば、元日だろうが誕生日だろうが大晦日だろうが、それら1日は紛れもなく365日中(366日中)の1日であり、万人に等しく与えられた1日である。また「今日(現在)」という1日は、仮に「昨日(過去)」の存在を了解するならば、その昨日という1日から生起ないし連続する概念としても、昨日は昨日(過ぎ去った1日)であって、今日とは異なり関係がない。今日は新しい1日なのである。

▼「日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」という言葉がある。これは中国の古典『大学』にある金言だが、ボクは意味も響きもこれが好きで座右の銘にしている。1日は常に新しい。昨日よりも今日、今日よりも明日と、1日1日を意識しながら誠実に生き、誰に認められなくともただ独り愚直に修養することによってのみ、新しい自己が発芽し、開花する。

▼元日だろうがなんだろうが、めでたかろうがめでたくなかろうが知ったコッチャないが、新年だからといわずもっと1日1日を必死に生きたらどうだろう。なりたい自分へのヒントはここにあるのではないか。少なくとも日々をいたずらに過ごす人間に、「新年の抱負」など全く意味をなさないと思うな。

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