ボクと「学ぶ」 Vol.1 そもそも論

「学ぶ」とはなんぞや

今回は「学ぶ」について、私信の意を込めて。さていつものことだが、「学ぶ」とはなんだろうか。その厳密な語義は辞書に任せるとして、生きている以上は、好き嫌い関係なく、また多かれ少なかれ我々は学び、同時に学ばなければならない。

とりあえずここでは、我々が一般的に理解しているような、つまり能動的に知識を吸収し、活かし、自身の成長につなげるまでの過程を「学ぶ」としておきたい。

意味、価値、影響

ではボクにとって「学ぶ」とはなんなのか。それはボクにとってどういう意味をなし、どういう価値があり、どう影響を与える概念なのか。

そもそもボクは、学ぶ道のり(ex.勉強)は好きではないが、学び自体は全く苦痛ではない。むしろ学べる機会には積極的に飛びつきたい。その理由として2点、頭の良し悪しはおいといて、知的好奇心が旺盛であること、そして知的空間が延長するからといえる。

なぜ学ぶ? ①知的好奇心

知的好奇心は、たしかに子どもの時から高かった。覚えた知識を活かした時に(知識の披露やテストでの高得点など)褒められた成功体験が知的好奇心を強化し基礎づけたのだろうか。たしかにそれもある。しかし思えばそれ以上に重要な理由があった。つまり、知識の分野対象また大小関係なく、知らないことを知ることによって、さながら眼前に広がる濃霧が徐々にパーッと晴れていき、視界と行動範囲が拡大し一歩また二歩と前進できる、その「快感」や「歓喜」が根底にあるのだ。先のような他者の称賛が快感を基礎づけるのでない。あくまでも快感が先立つ。これは今も昔も変わらない。

なぜ学ぶ? ②知的空間の延長

視界と行動範囲が拡大~と述べたが、それは自身の知的空間の延長、つまり自身の知的な成長である。わからないことがわかるようになる、それによりできないことができるようになる。場合によってはそれが他者を手助けることもある(ただ基本的にボクはボクのために学んでおり、利他を学びの動機としていない)。学んだものが実用的か否か、自慢できるか否か、あるいは学んだことで他者から褒められるか否か、全くもってどうでもいい。ただそのことで自分の幅が広がればそれでいい。

「学ぶ」ことは「食べる」こと

以上がボクにとって「学ぶ」動機であり、意味であり、価値である。換言すれば、なにも学問や学術的知識が「学ぶ」の対象ではない。むしろ限りはない。そして、どこまでも自己満足である。ゆえにいかなるものも「学ぶ」の範疇になりうる。例えば、ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」についてなど高飛車なものから、加勢大周と新加勢大周は別人である、みたいなどうでもいいことまで、ボクはへえ~と声が漏れ、なるほどな~と感心し、そうなんだ~とちょっと嬉しくなる。この意味で、ボクは「学ぶ」ことにあまり前のめりに考えていないとも言える。なんというか、「食べる」ことに似ている。食べて、おいしさを感じ、満腹を得て満足する。お腹が減ればまた食べる、というような感じだろうか。

「智」を「愛する」のが「学ぶ」

そもそもだが、「学ぶ」ことはそう仰々しいものではないと考える。例えば、ここから諸学問が芽吹いた、哲学。英語ではPhilosophyだが、語源はギリシア語のPhilosophiaに由来する。これは「愛する」というPhileinと、「智(知恵)」というSophiaから成り、「智を愛する」を意味する。それがつまりPhilosophy、哲学である。その哲学も日本では、明治初期には「窮理学」と呼ばれ(厳密には、窮理学は物理学など哲学以外も内包する)、のちに西周により「希哲学」と改名された(そして「希」が省略されて哲学となる)。希哲学は漢字から自明だが、「明らかな知=哲」を「希求する=希」意味であって、「智を愛する」Philosophiaと同意である。

自己満足な超個人的な営みとしての「学ぶ」

つまり知を愛し、希求するのが哲学であり、それが「学ぶ」の出発点となった。なにが言いたいのかというと、肩に力を入れ、机に座って本を広げ、嫌々ながら、教師の御高説を賜ることが「学ぶ」ではない。「学ぶ」とは、極めて自然で個人的な営み、語弊を恐れず言えば、趣味であろう。実際に、古代ギリシアの哲学者たちは、「余暇」を意味するスコレー(Schole)に精神活動を行った(余談だが、スコレーが「School」、つまり学校の語源である)

知的好奇心の旺盛さと自己研鑽に動機づけられ、無限に拡がる興味関心によって、学びの対象は限定されず、知識の実用性やら価値は問わない。そもそも、自己満足以外のなにものでもなく、ただひたすらに「智」を愛し、希求しては、1人で完結してしまう、超個人的な営みである。以上が、ボクにとっての「学ぶ」ことである。
(余談:ここまで書いておいてだが、一方でボクは知がついていくことにも実は批判的で、諸手を挙げて素晴らしいと言いたくない※)

「学ぶ」上で惹かれるテーマくらいあるでしょ?

なるほど、それでも「これ!」と琴線に触れるテーマやトピックがあるのではないか。たしかに無いわけではない。では具体的にボクはどんなトピックに興味があり、惹かれ、希求していきたいか。それはまた次回、掘り下げられたら掘り下げる。


※追記: c.f. https://note.mu/0ricasa/n/nf075c31bf947 

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