カントリーロード




・心のふるさととしての団地

1.劇中歌「カントリー・ロード」の挿入
舞台設定に加えて、もうひとつの大きな変更点は「カントリー・ロード」の挿入だ。劇中、雫は、コーラス部の友人らにジョン・デンヴァ―「カントリー・ロード」の訳詞を依頼される。以下に、その原詩を掲載する。

[原詩]
Take Me Home, Country Roads
Almost heaven, West Virginia, Blue Ridge Mountains, Shenandoah River
Life is old there, older than the trees, younger than the mountains, blowing like a breeze
Country roads, take me home to the place I belong
West Virginia, mountain mamma, take me home, country roads
All my memories gather round her, miner's lady, stranger to blue water
Dark and dusty, painted on the sky, misty taste of moonshine, teardrop in my eye
Country roads, take me home to the place I belong
West Virginia, mountain mamma, take me home, country roads
I hear her voice in the morning hour, she calls me, the radio reminds me of my home far away
And driving down the road I get a feeling that I should have been home yesterday, yesterday
Country roads, take me home to the place I belong
West Virginia, mountain mamma, take me home, country roads
Country roads, take me home to the place I belong
West Virginia, mountain mamma, take me home, country roads
Take me home now, country roads
Take me home now, country roads

 物語の進行と対応する形で、劇中では3つの試訳が登場する。
試訳1
白い雲 湧く丘を 巻いて登る 坂の街
古い部屋 小さな窓 帰り待つ 老いた犬
カントリー・ロード はるかなふるさとへ
旅立つ道 カントリー・ロード
ウェスト・ヴァージニア 遥かなる山
懐かしい わが町

試訳1・2は物語の序盤、学校グラウンドそばのベンチで、親友の夕子に手渡したものだ。 原詩の「望郷」というテーマに忠実に訳した詩であるが、雫は「ありきたりでつまらない」と自虐し、続けて2つ目の訳詩を夕子に渡す。

試訳2
コンクリート・ロード どこまでも 森を切り谷を埋め
West Tokyo, Mount Tama
ふるさとは コンクリート・ロード 

故郷へ続く「カントリー・ロード」を人工的な「コンクリートロード」であるとしたこの詩は、自分たちの住む町が、自然環境を破壊してつくられたという歴史を皮肉った、自虐的なものである。

2人は目を見て笑いふざけあいながら、この詩にメロディーに合わせて歌う。

3つ目の試訳は顧問の先生のもとで昼休みにコーラス部の友人たちとお弁当を食べながら発表される。

訳詩3 
カントリー・ロード この道 ずっとゆけば
あの街に続いてる気がする カントリー・ロード
一人ぼっち恐れずに 生きようと夢見てた
さみしさ押し込めて 強い自分を守っていこう
カントリー・ロード

疲れただずむと 浮かんでくる故郷の町
丘をまく坂の道 そんな僕をしかってる
どんなくじけそうな時だって けして涙は見せないで
心なしか歩調が早くなっていく 思い出けすため

カントリー・ロード この道 故郷へつづいても
僕は行かないさ
行けない カントリー・ロード

カントリー・ロード 明日はいつもの僕さ
帰りたい 帰れない
さよなら カントリー・ロード
日本語詞訳 鈴木麻実子/補作・宮崎駿

 「ふるさとって何か分からないから正直に自分の気持ちを書いてみたの」と自信なさげに披露する雫に、コーラス部の友人たちは「とってもいい」「後輩に挙げるだけじゃもったいない、謝恩会で歌おう」と絶賛する。
この場面は現代人・雫による「新しいふるさと像」を同じく現代人である友人たちが受け入れる、共有するというところに大きな意味がある。

全編を通して執拗に描かれる「ニュータウンでのすばらしい日常生活」は決して主人公・雫だけに与えられた特別なものではなく、その友人たちにとっても馴染み深く、受け入れやすいものなのである。
 

 3つ目の訳詩では原曲のテーマであった「故郷への帰還」ではなく、遥かな土地で暮らす少年が故郷を思いながらも望郷の念をこらえて生きていくという風に改変されている。

この後、天沢聖司が、イタリア・クレモーナへヴァイオリン職人の修行に行くという場面が暗示されているようでもある。
 天沢聖が「ヴァイオリン職人を目指している」という確固たる夢を抱いているのに対して、自分は何も将来の展望がないことに焦燥感を感じている。彼との人間的な距離を縮めるために、彼女は「物語」を受験勉強そっちのけで書き始めるのである。
 つまり、『耳をすませば』は現代の若者・雫による「故郷」と「夢」獲得のための物語なのである。

2.故郷とは何か
 『耳をすませば』はスタジオジブリによる新しい「故郷像」の提案である。そして、このころ若者の「故郷の喪失」は世間をにぎわす話題の一つでもあった。
そもそも「故郷」という言葉の意味を、自信をもって答えることができる人は少ないのではないか。さて、故郷とは何か。
成田龍一『都市空間と「故郷」』によれば故郷とは、三つの性質を持つ。
1. 故郷概念はけっして自明なものではなく、あらかじめ決まったものとして      故郷があるのではない。
2. 1人1人の人間にとって、故郷というものはある手触りを持っている
3. 都市、あるいは都市空間と密接な関わりを持っている

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