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共感覚と自己開示

こちらは十人十色Adventar Advent Calendar 2023(https://adventar.org/calendars/9231)に参加させていただき書いた記事です。

共感覚、というものをご存知だろうか。

共感覚とは、ある情報 (文字、音、月日の概念など) を頭の中で処理しているときに、その情報が一般的な形で処理される (例:文字が文字として認識される) ことに加えて、一般的にはそれと無関係と考えられるような種類の感覚や認知処理まで引き起こされる (例:文字を見た時に色の印象を覚える) というもので、人口の数%程度の人しか持たないと考えられている認知特性 (情報処理の特性) です。

https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/H_00038.html#:~:text=%E5%85%B1%E6%84%9F%E8%A6%9A%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%82%E3%82%8B,%E6%95%B0%EF%BC%85%E7%A8%8B%E5%BA%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA

文字なり音なりに色や香りなどを感じるちょっとした特性のようなものだ。私にはこの共感覚がある。認識している限りでは文字、音、味、香りにおいて共感覚を感じる。そこで色を感じるか、形を感じるか、といった感じ方の媒体はその時々によって異なる。
共感覚について説明し続けるよりも実際の感じ方を示した方がいいように思うのでいくつか例をあげてみる。
まずは文字。私の場合、数字のような一文字にも、「顕微鏡」のような単語にも色を感じる。「酔生夢死」という単語はお気に入りの色の単語の一つで、濃く鮮やかな紫とピンクのインクがマーブル模様のように混ざり合い、そこに少量の白が揺らめく、と言ったイメージが展開される。この熟語の意味自体は

何も価値のある事をせず、ただ生きていたというだけの一生を終えること。くだらない一生。

となかなかいいものではないのだが、この色のイメージがあまりにも綺麗で私はずっとこの熟語が好きだ。

そのほかには「微睡み」という単語。これは彩度の低く淡い青緑のイメージで、少し炭酸のようなシュワシュワした感じもする。

音には色と温度を強く感じる。
たとえばCコード(ドミソ)は黄色くて、夏の朝方くらいの温度をしている。この感覚の楽しいところは人の歌を聞いた時だ。当たり前だがみんな違う声をしていて、みんな違う色をしている。柔らかい緑の葉から透ける木漏れ日のようでしゅわっとした声の人もいれば、夜の部屋で穏やかに燃え続ける暖炉の火のような声の人もいる。感じる印象は本当に唯一無二で、他の人よりも少し多く人の歌を楽しめている気がする。だから私はいろんな人とカラオケに行くのが好きだ。普段話している時と歌っている時の声の色って結構違うし、この人の歌声はどんな色なんだろうな、とワクワクする時間が楽しい。

味と香りに関しては文字と音ほど強く感じるわけではないし、書いていると長くなってしまうので割愛。

話をもう一方のタイトルテーマである自己開示に移そう。
私は自己開示が苦手だ。人と話すにあたって自分のことを深く話す、というのがどうもためらわれてしまう。これは文章においても同じようで、今回いくつかのアドカレに参加させていただいたのだが、自分の内面というのは驚くほど書くのが難しかった。まぁ筆が進まない。しっくりくる文章が書けない。どう書いていいのか分からず、なんだか論文かレポートみたいになってしまったりした。自己開示はうまくできなくても、創作の文章であればそこそこ書けるという自負がある。上手い下手は置いておくにしても書きやすい。

信心深さで救われるなら、毎日こんなに人は死なない。孤児院にいた子供の中でも一等信心深く神への祈りも欠かさなかった奴が車に轢かれて死んだことを俺は知ってる。所詮この世は不公平だ。

その暖かさが、優しさが、危うさが、全てが春そのもので、もしかしたら春を落とし込んだ様な彼が春を知らないのは彼自身が春だからなのかもしれない、なんて考えが頭をよぎった。

差し出された手は俺よりも大きくて、温度が高くて。春先なのにも関わらず冷えきっていた俺の手が緩やかに春に染められていくような気がした。

これは昔書いた創作の文章の中で気に入っているものたちの一部。今見返してもなかなかいいんじゃないかと思える。贔屓目も入っているだろうけど。

創作と自己開示の文章でここまで書きやすさに差が出るのは何故だろう、と考えた時に行き着いたのが「共感覚のせいではないか」ということだった。普段自分で文章を書くときに、私は無意識のうちに単語の色を選んでいるのだと思う。創作の文章であれば自分の使いたいと思った単語を自由に使えるから、「この文章はこんな雰囲気にしたい、こんな色にしたい」と思えばそれに合致する色を感じる文字を選べばいい。少し難しい単語や回りくどい比喩表現もできるし、場面設定も自分で決められる。ただ自分の内面を書く、となると話は変わってくる。あまり難解な単語や比喩を使うとそれこそ創作っぽくなってなんだかわざとらしくなってしまう。それゆえに自分の使いたい表現が使いきれないで、結果的に「なんか違う」文章が生まれてしまうのではなかろうか。

これまでそんなに自分の共感覚の話をしたことがなかったために、そういう話を人とすることもほとんどなかった。同じように共感覚を持つという人で私みたいに文章の種類によって書きやすさが違う、みたいな人っていたりするのだろうか。一口に「共感覚」と言っても感じ方は本当に様々なのでいろんな人の感じ方が知りたい。よければマロに投げてくれると嬉しいです。お待ちしてます。


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