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SOS団バンドへのクソデカ感情

この記事はげんしけんのアドカレ(https://adventar.org/calendars/9312)に参加させていただき書いたものです。

7月の半ば、私は所属する軽音サークルでの初ライブを終えた。ギターボーカルとして参加したそのライブは、友人が数多く来てくれたこともあり私の中で最高の体験となった。そのライブ会場というのが文サ館であったため、ライブを終えた私は楽器を置くためにげんしけんBOXへと向かった。その時BOXにいたのがイーサン先輩だった。

確かその時、イーサン先輩は『光るなら』のアコギを弾いていた気がする。そこからSOS団バンドの話になり、お誘いをいただいた。初ライブを終えたばかりですっかりライブの楽しさの虜になっていた私は二つ返事で参加を表明した。当時BOXには私以外の23生も結構いて、その時にしろあん、わら、ずきも、そえ、そして私が一気にメンバーとして加わることになった気がする。とーかもその時だったかな。
最初はキーボードとしてのみ参加予定だった。各楽器の担当が複数人いたために、後日誰がなんの曲を引くかの話し合いが開催された。

「ちょっと歌ってみない?」
イーサン先輩だったか、たかはし先輩だったかがそんなふうに言ってくれた。キーボードやギターなど、各人の担当曲も決定しゆるゆる話している時だったと思う。『君の知らない物語』を歌ってみないかと声をかけていただいて、YouTubeの音源と一緒に歌った。お眼鏡にかなうことができたようで、私は『君の知らない物語』のボーカルも担当させてもらえることになった。中高と軽音部のない学校に在籍していた私からすると学園祭でバンドを組む、なんていうのは憧れ中の憧れでましてや一番やりたいボーカルでの参加ができるということは本当に夢のようだった。同じように提案のもと歌ったことで、『光るなら』もそえくんと私で歌わせてもらえることになった。ソロで歌うのももちろん好きだけど、それ以上にデュエット曲は大好きだったから大きな舞台で人と一緒に歌えるのことになったのは最高に嬉しかったな。

夏休みに入った頃からスタジオ練が始まった。驚いたのはその練習期間の長さと頻度である。毎日のように練習が入っていたし(担当曲ではない曲ばかりの日もあったから毎回行っていた訳ではないけど)、何より練習期間が長い。軽音サークルでの練習なんて一ヶ月前、なんなら一ヶ月すらないくらいからバタバタと始まるのが常であったので数ヶ月単位で練習の期間が設けられていることに感動すら覚えた。
私はこの長い練習期間が本当に好きで、音楽って最高だとなんども思わされた。特に最後の2週間くらいになった時。ドラムのカウントに合わせて息を吸って、一音目がマイクに乗って、キーボードが一緒に歌ってくれて、その後に一気にギターとベースが始まる。曲が進んでいくにつれて全員の気持ちが高まって、それぞれが出している個々の音ではなくて、全てが溶けて混ざり合って一つになるその感覚を肌で感じるのが、最高だった。本当にあたたかくて、心の底から楽しい時間だったと思う。雙峰祭の準備と芸祭の準備とバイトとバンド×2とかいうアホのスケジュールをしていたけれど、その忙しさを全てこのバンド練習で癒していた気がする。

いよいよ本番、練習も楽しかったがやっぱり何よりも鮮明に焼き付いているのは雙峰祭当日の記憶だ。
ほんっっっっっっっっっっっっっっっっっとうに楽しかった!!!!!
その場の空気も含めて最高だった。正直そこまで緊張はしていなくて、開演までの時間もずっとワクワクしていた。見に来てくれた友人もいたし、それ以外に人がどんどん集まっていく様子に心が躍っていた。げんしけんの先輩方や同輩もたくさん来てくれて、最前で声を張ってくれて、歌うのが最高に楽しかった。改めて本当にありがとうございました!!あと、私が何より嬉しかったのは、海外の方がノリノリで聞いていてくれたこと。アニメという日本文化が愛されていることを直に感じられてよかった。聞いてくれる人がいると歌っている時の楽しさってやっぱり段違いで、今までで一番楽しく歌えたと思う。実は歌詞を間違えたりもしたんだけれどそれもライブの醍醐味ってことで…
ステージに立つのも楽しいけど、やっぱり聴く側としても楽しみたい。自分の番の歌とキーボードを終えた後は観客ゾーンのすぐ横に向かった。God knows…が始まった時の盛り上がり様は一段と凄まじくて、改めてこの曲の力を感じたし、各々が手を打ち鳴らしたり飛び跳ねたり歌ったりペンラを振ったりしている空間は最高にライブ!!って感じがした。
そしてやっぱり最高だったのはアンコール。本来時間が押していたはずなのに、いつの間にか後一曲歌えるくらい時間が余っていた。MCも少し省略したし、曲のテンポも普段より早い気はしていたけどまさかそんなに時間が余ることになるとは。アンコール、って声が石広に響いているのも嬉しかったし、それでもう一度God knows…が始まった時の歓声も良かったな。演奏側も観客側も全身全霊で音を楽しんでいるのがわかってこっちまでしあわせになった。私もはじめは観客側でぴょんぴょん跳ねていたのだが、たかはし先輩と目があったときにこちらに手招きをしてくれた。最初は自分に向けられたものと思わず、私ですか?と指を指した時にうんうんと頷いてくれたのでその場にいたバンドメンバーとともにステージへと走った。石広のステージにバンドメンバー全員がギチギチになって歌ったあの瞬間は心の中がずっとぱちぱち弾けていた。しあわせだったなほんとに。

中高と軽音がない学校にいた、と言ったが別に全くやる機会がなかったわけではない。高校の文化祭では有志ステージというのがあり、そこでバンドをする人は毎年一定数いた。高校生になったらギター買ってメンバー集めて文化祭でバンドするぞ!と中学時代の私は意気込んでいた。中3の冬にはアコースティックではあるけれどギターも買った。しかしそんな私の計画は、例の流行病によって全て崩されることになった。高校1年生では文化祭が開催されず、2年生では大幅に規模が縮小され有志ステージは実施されなかった。いよいよ有志ステージが復活するとなった時、私はもう受験を控えていた。自信も技術も時間も無かった私は、ステージに上がることは出来なかった。高校時代に残してきた後悔の一つだ。
今回のSOS団バンドで、私は取りこぼしてきた青春を拾うことが出来た。改めて各方面にお礼をしたい。
私に声をかけてくれて、弾かせてくれて、歌わせてくれて、見に来てくれてありがとうございました。ステージに立たせてくれたSOS団バンドと一緒に駆け抜けたメンバー、そしてげんしけんに最大限の感謝を!

余談ですが、この記事を今日12月18日に投稿することにしたのには少しこだわりがあったりします。今日はSOS団、というか涼宮ハルヒという作品にとって特別な日です。ぜひ「SOS団」で検索をして公式サイトに入ってみてください。






AOSE>また雙峰祭で

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