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スキマ時間

稀に、noteを過去の分も遡って読みましたと言ってもらうことがある。

自分の考え方の自覚している癖みたいなのは一通りnoteに書いているので、noteを読みましたと言われると「あら、じゃあ私のことはだいたい分かってくれてらっしゃる」と無防備に心を開いてしまう。

でも、そんなわけないとも思う。
直接話しても相手のことなんて全然分かれないのに、noteにひとりごとみたいに書いている文章から何が伝わろうか。私が考えていることの5%くらいしか伝わってないような気もする。

それでも過去の記事を読んでもらえて嬉しいことにかわりはない。私のnoteを読んでくれるような人はきっと良い人、良い人が興味を持ってくれた時に私が考えていることの真ん中に近い部分の記事にすぐリーチしてもらえればと思って、「自己紹介」というマガジンを作った。
考えてることとか、大事にしたいと思っていることが書いてある記事を選んだつもり。


"考える"で言うと、もしかしたらだけど、平均的な人より考えごとをしている時間が長いかもしれない。
私は普段インスタのリールもTikTokもYouTubeも見なくて、XやThreadsのおすすめ欄も見ない。
ゲームアプリもしないし、ゲームもしない(ぷよぷよしたい泣)。本もたまにしか読まない。最近はテレビも見ないしラジオも地上波・ネット問わずに3番組くらいしか継続して聞いていない。noteも基本的にフォローしてる人のものしか読まない。

じゃあその時間何をしているのかと聞かれると、仕事をしてライブに行っている。またはライブの配信を見ている。もちろんスキマ時間は発生するので、その時間は専ら音楽を聴いている。正確に言うと何度も聴いたことのある、歌詞を全文諳んじることができるような曲を聴きながら考えごとをしている。

特に最近は自分の中にある既存の考え方の枠組みで到達できるところまでは行き着いている感覚もあり、何度も何度も同じ道を歩いて、同じような答えに行き着いている。答えがない、みたいな結論の時も往々にしてある。
いっそのこと


5/17の19:30までで、ここまで書いてライブに行った。
「いっそのこと」で文が中断されると、思い詰めた感じがしてちょっとザワっとする。
何を続けようとしたかあまり覚えていない。

かもめんたるの1本目のコント、序盤から勢いよく大好きなフレーズが文字を伴って飛び出してきた。
(私はネタを見ている時特に好きなフレーズに出会うとテロップみたいに文字が一緒に見える感覚になる)
面白いし、ぐるぐる考えてたことを一旦断ち切ってくれる強さがあった。ネタの文脈を踏まえるとそんなに立派な、高尚なセリフじゃなかったのもまた良い。

考えることは止められないと思う。
たられば とか、もしも とか、鶏が先か卵が先か みたいなこととか、未来のこととか、思い出のこととか、もう飽きてきたのに考えてしまう。
もっと引越しのこととか考えた方が良い。分かってますよ〜

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