見出し画像

重い

8月、鍵のアカウント内でも自分の過去ツイートの検索ができるようになっていた。
これは非常に喜ばしい。
色んな単語で検索をかけていたら2時間経っていた、みたいなこともあるくらい楽しい。

新ネタライブの開催が発表された日に
「"新ネタライブ"、一番好きな7文字!」
「"カラオケビンゴ"も好きな7文字!」
みたいにツイートした後のかわいいツイートの存在を思い出せて嬉しかった。


重い、という言葉がずっと分からない。

好意の質量が大きくて困るということ?

自分の感情に対しても、人が向ける感情に対しても、重いと思ったことがない。


①第三者の立場に立った時

前提として、重いという言葉は好意的な感情に対して使われると認識している。
他人から他人に向ける好意的な感情、大きかったらその分素晴らしいじゃんと思ってしまう。他人事なので。
第三者の私が善し悪しを決めることでもない気がして。
感情が大きすぎて負の影響が出ていたら、それは嫉妬、執着みたいな別の言葉で理解している気がする。


②好意の受け手の立場に立った時

向けられる感情が喜ばしいものの時、大きかったらその分嬉しいと感じるので、重いとは思わない。重いって、胃もたれする、みたいな感覚なんだろうか。
向けられる感情に応えられない時も、重いから受け取れないんじゃなくて、私がキャッチできる種類の気持ちではなかったというだけ。重さは問題にしていないと思う。


③好意を向ける立場に立った時

ここが大問題。
他人を見ていても自分が受け手になっても重いという感想が理解できない私は、つい最近まで自分の好意が相手にとって重くて迷惑かもしれないという可能性を考えたことがなかった。
いくら方向性は喜ばしい好意でも、質量が大きすぎて負担になる可能性があるってことですか?
恐ろしい。

そもそも重いかどうかって相手が決めるものだから難しい。
重いと思ったとしても、向けられている感情が好意である以上気軽に重いよって言えないだろうし。

私があんまり悩まないのって、こういう感情のセンサーが鈍いからなんだろうなと思う。
みんながとっくに悩んでいるようなことに今さら気づいた。気づけているのかも分からない。

"重い"の解釈、見当違いですか?
みんなは重いってどういう時に思うんですか?

ひとまず迷惑をかけないことは意識し続けます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?