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ねぇねぇダーリンどんな時も

会社の先輩に誘われて女性アイドルのライブに行った。ライブというものが好きだし、どんなジャンルのライブに放り込まれても楽しめる自信がついていたので、前日に冗談半分で誘われたけどすぐに了承した。
前日の夜、おすすめされた代表的な動画を見て、公式サイトを見て、魅力的だと思うメンバーを見つけた。当日は中野サンプラザの後ろの方の席だったので、個人の顔まではよく見えなかった。見えないなりに、1曲目が終わる前には歌声とスタイルとパフォーマンスの雰囲気からお気に入りのメンバーを決めていた。
グループの中ですぐにお気に入りのメンバーを作ってしまう。"箱推し"したことがない。発作。
数曲終わって自己紹介の時間がきて、私が好きになったメンバーの名前を知ることができた。どんぴしゃで前日の夜に"顔が好みだな"と思った子だった。17人くらいいたのに。嬉しかった。私は自分の好みのセンスを信頼している。余計に信頼が深まった。
(終演後にTwitterで「清水さんが好きだった」と言ったら"お笑いも当該アイドルグループも好きなフォロワー"に「あなたが清水さんのこと好きなの分かりすぎる」と言われて嬉しかった。パーソナルな部分を全然知らないのでどう筋が通っているのか分からないけれど、筋が通っているらしくて嬉しかった。)

パフォーマンスを観ながら手拍子をするのが苦手だ。リズム感がないのかと思っていたけれど、純粋に拍を捉えるだけなら寧ろ得意なほうなので、「パフォーマンスを観ながら」の部分が苦手なんだと思う。私は音楽を聴いているときにめちゃめちゃ考え事をする。このせい。アイドルなんて「今の振り付け可愛かった」、「この歌詞好き」、「今の場面でセンターで歌割りもらえてるの、ファンの人は嬉しいだろうな」とか考え事ポイントが無限にある。数小節経過しただけで自分だけ裏拍で手を叩いてしまったりする。後半は手拍子を諦めた。

終演後に先輩+お供した3人の計4人でご飯を食べた。その先輩は本当に珍しいことに、私がお笑いを追っかけるのと同じくらいの熱量でそのアイドルを追っかけている。話していてかなり共感するところが多くて楽しい。Twitterのサークル機能の使い方について話したら「いくらなんでも同じすぎる」と大盛り上がりした。残りの2人はTwitterは使ってるけど、サークル機能の存在すら知らなかった。自分を戒めないといけない。
何かを応援している人の話を聞くのが好きだ。何かに心が動かされて、それによって選択する行動が変わることを尊いものだと認識している。(過去にもそんなことを書いた)
先輩からもそんな話を聞けた。素敵だった。

この曲、切実な歌詞と切実なメロディがすごく刺さった。切実なものに弱いので。そもそもアイドルって存在が切実だ。来年1年続けてくれるかも不確かな存在、そりゃ応援に熱も入る。


次の日母方の実家に帰省した。流行病の時期に差し掛かって以降、1度も会えていなかった。
観たい関西ローカルの番組が静岡でなら観られるかも、じゃあせっかくだし静岡の祖父母に会いに行くか、なんだよ静岡での放送は4月からかよ、でももう帰省して祖父母と富士宮焼きそば食べる気分になっちゃったよ、よし、普通に会いに行こう、という思考の流れ、お笑い中心すぎて我ながら辟易する。ただこのきっかけが無ければ何だかんだ先延ばしにしていたと思うので結果の部分を評価したい。
祖父母も母親も、めっっっちゃ喜んでた。ずっと嬉しそうな顔をしていた。喜んでるってこんなに分かるんだ、と驚いた。会えてよかった。
祖父が「そういう(結婚とかの)話かと思った」と言っていてあ〜〜〜年頃〜〜〜〜とは思った。まあまあ。
新幹線で東京に戻ってその足でプロットに向かうの、やりすぎだったけどこれが今の私なので自分で肯定するしかない。


女性アイドル熱が高まっていたので日曜にもアイドル関連のライブに行き、例のごとく一瞬でお気に入りの子を見つけた。ネタも披露していたのでお気に入りのネタも見つけた。面白いと思ったネタの作者を知りたくなる性なので「どなたが提供したネタですか!?」という感想も浮かんだ。楽しいライブだった。




気を抜くと感情の話をしそうになる。「あの時こう思ってて……」みたいな話の入りになってしまうので我慢している。他の人にとってみたら他人の時系列なんて知ったこっちゃないですもんね。でも「あの時は」を省略するのも違う。私にとってはあの時があって、今の感情がある。だから感情の話自体を我慢している。あの時っていうと大袈裟に聞こえる。全然昔じゃないのにすみません。
私が「あの時は……」と色々話していたら、我慢の限界が来てらぁと笑ってほしい。

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