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光る石

最近見てウオ〜!と思ったもの

毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである
しもきたドーンでライブがある日に、下の本屋の短歌コーナーに行ってみた。店舗の面積が狭く、品揃えが悪かったので開演前の短い時間でも大体の本のタイトルを把握できた。
枡野浩一全短歌集「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである」を、タイトルに惹かれて手に取り、パラパラと捲ってみて、この本を買わなければならないと思った。その日は時間がなかったので次の日のライブとライブの合間に買った。家に帰るのを待ちきれずにカフェで開いて、一緒にいたフォロワーを巻き込んで「なんでこんなことを言うんだ」「これはすごく良い」と感想を喋った。詩や短歌をこうやって人と一緒に楽しんだことがなかったので、ドキドキして素敵な時間だった。文芸部だったのにな。
名前をつけていなかった感情が短歌によって切り取られる。あまりにも見事なもんだから本来その形じゃなかった感情まで枡野さんの短歌の形になってしまう気がした。かと思えば最近名前をつけたばかりの感情までバチバチに詠まれていて、苦しかった。突きつけてこないでよ。
私は詩も短歌も自分勝手に解釈する。自分の方に引き寄せて味わう。自分からあまりにも遠い作品は勝手に登場人物を作り上げ、その人の気持ちを分かった気分になる。この短歌たちは、あまりにも自分ごとに引き寄せやすかった。気を抜いたらこの人の短歌に感情が寄っていってしまいそうだと思った。
他にも3冊の詩集を買ったのにずっとこの本で止まっている。好きだな〜。もっと短歌を知っていきたい。

noteの人たちを信頼しています。質問箱から匿名でメッセージを送れるので、良かったらおすすめの詩集や短歌の本を教えてください。好きな一節や短歌と、それが収録されている本とか教えてくれたら、飛び跳ねて喜ぶかも!!
本当はカフェや喫茶店でとっておきの作品を見せ合いながらあーだこーだ話したい。


また点滅に戻るだけ
ダウの本公演を観ると「これが1番刺さるのは私ではありませんか?」と思わせられる(思わされる?)。今回も私が大事に抱えていた思い出の1番肝みたいな部分が軸になっていて、こんなことってある?と思った。実際は私以外にも多くの人の思い出のくすぐったい部分を刺しているんだと思う。多くの人が私のように「私に1番刺さる作品だ」と思うんじゃないか。罪な作品。今回の、私はかなり蓮見さんの役のスタンスに近かった。逃げの姿勢まで似ていた。
完全に別件で、吉原さんのツッコミの間とトーンが大好き。お笑いが大好きな人の間とトーンだと思う。

短歌もダウ90000も、世間というかその界隈の口コミを全然見に行っていないので、今書いたようなことは既に語り尽くされているのではないかとビクビクする。もううんざりだよ、というようなありふれた感想を垂れ流していたらすみませんね。

Twitterになんとなく載せた写真がすごく拡散されていて、Twitterってこんなに人がいるんだ、と思った。12万回表示されて2000人にいいねされているのに固定ツイートを見て短歌の本をおすすめしてくれる人は信頼しているフォロワー以外にいない、そりゃそう、私にいいねをしているわけではないから。

ここで文章を終わると暗い気持ちの人みたいか。
楽しく生きています。楽しく生きてください。

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