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日記:好きな人の隣で失恋する曲を歌ってみよう

そんなことしたらきっと私を信じる気が失せるだろうね。
だけど望まなくても私はいつか終わる。死がある限り、終わらせなくてはならない。それが私の思う恋の形なのだ。嘘だと言われても本当のことだ。不運だね。

なんとなく今の自分は、社会に出るために未来への希望を描いているけど、数年前は「暗いですね」と他人に悟られるぐらいに希死念慮増し増しな気持ちを持て余していた。
こんな気持ちに蓋をしてしばらく社会に適合しなきゃいけないのは尺だが、経験だと思ってやってみるのもありだと思っている。そう思えるのも就活で運良くことが運びつつあるからだろう。
逆に一生懸命やった上で結果に恵まれなかったらどうなんだ?忘れている。

昔の自分はすぐに絶望するばかりで無価値で嫌いだった。でも実をいうと、この頃に書いていた小説を終わらせたかったのに終わらせられないままだった。

だから昔の自分を忘れるわけにはいかない。自分の部屋の扉を締め切り、半年前にノートに書いた創作のネタを見返して、希死念慮に思いを馳せに走った。
今はわざと自分を信じるようにしているから、負の感情に思考を強く突き動かされる感覚を感じるのも久々すぎてノスタルジーさえ感じる。意味分からなすぎる。

私はかつて、死ぬことにも生きることにも等しく無意味を感じていた。なんなら存在の否定までを求めていた。
自他境界が曖昧で、世界でいろいろ起きることを自分の実力不足に結びつけていた。
つーか、何もできない自分が嫌いで、以前に結果として帰ってきたものが「意味がない」という言葉に変換されたのだった。
ねー。いつねじ曲がってしまったのだろうか。

なんなら私が恋の終わりが好きなのは、その終わりが不運だとして、でも何かの意味にしていいとか、同じように悩む誰かへの内緒の思いに変えていいとか。 そういうことをやるべきだった。なのに私は、生きたいと願おうとしている。

変わった気でいるお前が怖い。
すべてわかった気でいる私達人間が一番怖い。
聞いてよ。

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