骨折3回

 私は30年の人生の中で計3回骨折している。10年に1回のスパンで骨折していると思えばそこまで頻繁ではないにしても、そこそこの骨折ぶりである。

 私の最初の骨折は小学生の頃に遡る。おそらく5年生とか3年生とかまあ定かではないがその辺の頃だったと思う。クラスメイトたちと学校のブランコで立ち漕ぎをしていた時、何かの拍子に滑ってブランコから落ちてしまった。地面にうつ伏せに倒れた私の後頭部を揺れるブランコが撫でている感触を感じながら、左手の中指辺りに激しい痛みを感じていた。病院でレントゲンを撮ってもらうと医師(ハゲている)に「なんともないねえ」と言われ、そうですかーと答えると医師(ハゲている)はレントゲンを二度見して「ごめん、やっぱり折れてるわ。」と言った。人生初の骨折は危うく見逃されるところだった。それからしばらくの間左手の中指は薬指とともにギプス固定され、数ヶ月後に完治した。当時私は爪を噛む癖があったがギプスをつけていた指は爪が噛めなかったため、縦より横の距離の方が長かった爪は自然と縦の方が長い普通の爪になった。ただしギプスが外れたあとは当然のように噛まれてすぐ元の形に戻ってしまった。

 2回目の骨折は専門学校生2年(医療系)の夏の終わりだった。最終学年の2年生になると臨床実習が2回(20日間と40日間)夏から秋にかけて2ヶ所の病院に通う地獄イベントがあるのだが、不幸にも20日間の実習の残すところあと3日ほどの時に路上で転倒して尻餅をつき尾骨を骨折した。あまりの痛みに(呼吸ができないほど痛かった)路上で悶絶していると通りがかったおじさんに「ええっ…大丈夫??救急車呼ぶ??」とめちゃくちゃ心配されたが、「…ッッッ大丈夫です」と絞り出すように返答し、実習を休むなどあり得ない私は実習に行くのだという気持ちだけでなんとか立ち上がり電車に乗った。猛烈な痛みと吐き気に耐えながら数駅分電車に揺られたが、途中の駅で耐えられなくなり降車して壁際で座り込み、偶然通りがかった優しい人に駅員さんを呼ばれ車椅子で救急車に運ばれた。運ばれている間は号泣しながら謝っていた記憶がある。みんな優しかった。その後近くの病院に運び込まれ、尾骨が骨折していることや、骨折の影響で産道が狭くなる恐れがあるため出産の際には注意が必要なこと、部位的にギプス固定が不可能なため痛み止めの服用で様子をみるしかできないことなどを医師(ハゲていない)から淡々と伝えられ、私は実習のことを考えてまた泣いた。外国人の看護師さんがめちゃくちゃ励ましてくれてこの人みたいな医療職になりたいと思った。その後受付で治療費を請求され偶然まとまったお金を持っていて良かったと心から安堵し、最寄り駅まで徒歩で移動し(歩くことはできた)実習先と専門学校の担任と両親に骨折したことを報告した。実習は当然のことながら休みになった。色んな人に心配され、迷惑をかけ、情けない気持ちでいっぱいになったが、ちょうど場所が梅田だったため「ただでは帰らぬ」と思い美味しい唐揚げとスイートポテトを購入して家路についた。当時一人暮らしだったことから、家事などでかがむ動作が大変になるであろうと予見した私は帰り道に100均でマジックハンドを購入して帰宅した。しばらくすると心配した両親が私の部屋を訪れたのでスイートポテトを勧めると「思ったより元気そうやん」と言い、ドーナツクッションを残して帰って行った。このドーナツクッションはこの後およそ2ヶ月ほど私の相棒となった(平らなところに座ると痛いので)。骨折後の生活は想像を絶する不自由さで、世界中にこの苦しみを叫んで聞かせてやりたいほど大変であった。日常のあらゆる生活動作で痛みが走り、睡眠中は寝返りをうつたびに痛みで目が覚めるため慢性的な睡眠不足になった。20日間の実習はなんとか終えたものの、問題は40日間の臨床実習である。当然行かないとなれば単位がもらえないため卒業できないので、行くという選択をするしかなかった。そのためにまず実習先のバイザー(実習の面倒をみてくれる人)に「骨折したので色々迷惑をかけるかもしれませんが頑張りますのでよろしくお願いします」と連絡を入れ(向こうも困惑していた)、最寄りの整形外科を探して痛み止めを大量にもらった。そこの整形外科では医師(ハゲていない)が座位が困難な私を気遣い、私と同じように立ちながら診察をしてくれてとても優しくしてくれたのを覚えている(こんな医療職になりたい2度目)。そしてその後も実習に向けてのあらゆる準備を行い、実習に挑み、実習中は睡眠不足で患者さんの目の前で爆睡しバイザーに深刻な顔で注意されるなどしながらなんとか40日間の実習を終えることができた。終わった時には燃え尽きていた。もうジョーにも負けず劣らずの真っ白具合だった。その時すでに11月。2月に国試を控えていたがしばらくの間は何もしたくないという気持ちでいっぱいだった。その頃には尾骨の痛みはほとんどなくなっており、ドーナツクッションともお別れしていた。

 3回目の骨折は入職2年目の夏である。労働にやや慣れてきてはいたものの、欠勤が増え担当患者が退院して疲労の蓄積がMAXになったタイミングで、自宅にて右足の小指を部屋の入り口の角に強打し、翌日整形外科で骨折が発覚した。思えば2回目の骨折の時も疲労でフラフラしていた。私は疲労が頂点に達すると不注意になり怪我をする傾向にあるらしい(誰でもありえることかもしれない)。骨折が6月の終わりだったため、7月と8月は休職することになった。かかりつけが私の勤めている病院となったことから、医療費は無料となりラッキーだったが、顔見知りの医師(ハゲていないが偉そう)に診られる羽目になり診察は毎度ややストレスだった。とにかく安静にしてカルシウムをとるように言われたため毎日牛乳を飲み不要な移動は避けて生活した結果、2ヶ月後には痛みは無くなり、普通に歩けるようになった。医師(ハゲていないが偉そう)に「ちゃんと言われた通りにしたようですね。褒めてあげます。」と言われ苛つくなどした。この2ヶ月で多少の筋力は失われたが、代わりに爪を噛む癖が無くなった。それだけは成果であると言える。その後無事復職するも、1ヶ月も経たないうちに欠勤が3日続いて再度休職するがそれはまた別のお話。

 以上が私の身に起こった3回の骨折の記録である。とにかく骨折をするとQOLがガタ落ちするので骨折は最悪だが、不便な生活を送ることで少し患者さんの気持ちがわかるようになったという点や、患者として様々な医療職と接する中で接遇の重要さを感じられた点においては良い経験ができたのかもしれない。感じた痛みや苦しみ、誰かの優しさを忘れずに生きていきたいものである。ちなみに私はハゲている人に対しては何の感情も抱いていない。

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