「自分を認める」がイマイチわからない、そんな人へ
「ご自愛しましょう」
「自分を褒めてあげましょう」
と聞いたとき、すんなりと行動できる人は素晴らしいと思う。素敵だし憧れるしそうなりたい。
私は冒頭の2つの言葉をかけてもらったとき、どうもうまくできないのです。なんだろう、自分のことなのにどこか客観的で「完全の自分ごと化されてない感」がある。踏み込めない何かがあって、すんなりと褒めたりできない。
ちょっと頑張って心の中で「頑張ったね」と言ってみる。
でも、な〜んか違う。「ああ、そうだね」と冷静な自分がいる。もっと素直に喜べる自分がいたら、何倍も幸せに感じられるのかもしれないね。
人のことだったら「すごいね!」「頑張ったね!」と全力で言えるのに、自分のこととなるとどうして素直に褒めたりご自愛したりできないんだろう?
原因は、どこにあるのか。多分、過去の自分にある。
私は昔から何をやっても最初からうまくいくことがない「不器用な人」でして、時間や労力をかけてやっと「人並み」「ちょっとみんなよりできる」ようになる。やっとやっと。
水泳を始めたときも、バスケに夢中になったときも、受験勉強をしたときも、いつもそう。
「はじめからうまくできたら、才能があればどれほどいいものか」
私の根底には「才能がない」という思考が一定数あるみたいで、大人になった今も少なからずあるんだろうな。無意識にしてるんだろうな、これ。
そんな状態で30年弱生きてきたので、今でも「すごい!」「よくやった!」「褒めてあげたい!」など、自分に声をかけられずにいるみたいです。
無理やりいうのもなんかちゃうので、考えました。
他の誰かの言葉を聞いて吸収する。
自分では心の底から言えないので、ポストや歌や友達のお話などあらゆる言葉を受け取ることにしました。なにも、私に言っている言葉だけじゃあありません。誰かが発しているものを、ええ感じに受け取っちゃってみます。
歌とか特に良さそうじゃないですか?
自分で言えない分、誰かの言葉で心を励ます。そんな意識で生きてみようと思います。ええ感じに。
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