月と日を編む…2021/4/4
''たった三秒で終わった出来事でも、それがもし永遠に記憶に残るほどのものなら、それは永遠より長い''
電車内の広告に目が留まった。
人はよく忘れる。日記を書きたいと思っていた事も忘れるし、私はクリスチャンで(…この事対して特に宗教を押し付けるわけでもないし、ただの価値観だからどうか怖がらないで欲しい)、とっても大切な事なのにその事ですら忘れて皆と同じ様にお酒だって飲むし、同じ様に時間を過ごし誰かを愛してしまう。教会にだって行かない。厳密には行けていないのだけど…
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クリスチャンには表面的な決まりが色々ある。
やってはいけない事は沢山あるし、"こうあるべき"とか"これでこそクリスチャン"みたいな雰囲気もあるのだけど、皆んな誰しも"人"なのだ。
"日常"はこうしてやってきてしまうし、忘れてしまうよな…といつも感じている。
そう。大切なのは"決まり"ではない。どれだけ大切にしているか、人生になっているかだと思う。(このことに関しては今日の話しとは少し外れているけど…)
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冒頭の言葉にすごく惹かれた。
神様はどんな人にも"時間"を平等に用意していて、同じ様に"時間"が流れているから人の内には朝が来て夜があるのだ。
時間に流れがあるおかげで共に流れてしまう日常も多いけれど、その中で人はどれだけ記憶に残る経験があるだろうか。
人生という有限な中で出会う経験が、厚みを増し豊かになり"人生"を創っている。その出来事が嬉しい事でも、苦しいことでも…それが糧になった時その"3秒"は尊く愛おしい。
目を閉じてそっと振り返った時、"愛おしい"と思える時間が人を永遠に支え続けていく。
人は"たった3秒"で生きていけるのだ。
"それ"は言葉かもしれないし出来事かもしれないけれど、貴方にとってその瞬間が今であれば佳いなと思うし貴方の一瞬でありたいと、今は素直に想っている。
愛は永遠よりも長く美しいのだよ。
望むならいつだって時を分けてあげたい。
…分けられる人でありたいと今日も願い、自身
3秒を大切にする。