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"言葉"を紡ぎ、"生きる"を繋ぐ


"先生はどこにでも"
「自身の周りにあるものは何でも先生なのですよ。よく気をつける子供には、見るもの聞くものみな先生です。」
(こども読本 羽仁もと子著)

言葉も蓄積である。
意味や正解が分からなくともかけられ続けた言葉、やりたくなくても聞きたくなくても、佳い言葉も悪い言葉も…言葉というものは蓄えられ続けてその人を創る。
自覚なくしても気がつけばそうしているし、小さい頃心に書かれ続けた言葉達は、これからも私のお手本になり続けてこれからもきっと、言葉は増えてゆくことでしょう…

さて、自粛期間(という言葉はあまり好きじゃないけど)に沢山のお手紙を書いた。手紙を書く文化は私達(旧友)にとっては割と身近であって、ふと書きたくなるもの…メールもLINEも良いけれど、人の手をかけて生み出された言葉には温かみがあるし、離れていても封を開ければ "そこ" にいるかの様に声が聞こえる。不思議。

例えば、私の先生の1人でもある"彼女"。
見ての通りとても美しい字を書く。そして"彼女"の美しいところは文字だけではない。チェロを奏で、その音色は美しいし、なにより愛が深い。
私も彼女の様な暖かさと品性・愛嬌、揺るがない何かを備えたいと…いつもお手本にしています。なんとオクラの種つき。嬉しかった。
ありがとう。

時にはオクラでさえ、立派な先生になる。
種を譲り受け、愛情をかけて育てたものがいかに愛おしいか…。小さな連鎖かもしれないが、そこに生まれた緑は美しい。過酷な夏に耐え、無事実になった柔らかいオクラを手に、"尊さ"を考える時間…

…考えたら長くなるな。
今日はここまでまた今度。

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