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人権のあとさき

場合によって課金したり、記事そのものを削除するかもしれない。

上の記事の感想。人権を改めて確認する機会となった。当時の法に見離された人々とかれらの生活はかわいそうランキング外の扱いで排除・隔離・生かさず殺さずが徹底されていた。結婚はできても、病症が遺伝しないと判明しても子どもができたら中絶など。根源的な法の下の平等が為されていない。1996年にらい予防法が廃止されたが、入所者の人生を回復できるものではなかった。

人生そのものを病ではなく、法によって奪われたことに言葉にできる立場でない。外見に残る症状に恐怖し、治療法と薬が確立しても社会生活をさせなかった。家庭や就業など社会基盤を築くことを著しく制限されてしまった。結果、療養所でしか生活できない。

案内スタッフより知らされた大島の入所者の平均年齢は85歳である。風化が始まっていると感じた。療養所側はハンセン病の啓発を目的としている。目的に同意するが、私は同和問題と同じく風化を受け入れていくカタチが落とし処だと思う。一つ目は心理的障壁が高過ぎる。人生を台無しされた人の意識とそうでない人の意識の差は埋めようがない。二つ目は人権感覚がアップデートされている。手元で検索できるし、療養所を訪れる人はハンセン病の知識を既に持っている。三つ目は入所者の人生を補填するため大切に扱いすぎて、島外の人が関わるコストが高過ぎる。ここ2年の流行り病への対処など。差別する意図は無くても、関わろうとしないだろう。

啓発を採用するゆえに療養所側は上から目線になってしまうと私は感じてしまう。入所者の外部との関わり対する気持ちはわからない。2013年訪れた時はたまたま遭遇した入所者と2、3言葉を交わした。もっと喋りたそうだった。来島者の限られた見学時間のために気を遣ってくれた気がした。療養所側が被害者の立場を固定しようとする気がする。被害者という高みから降りて外部の人と関わるのが正解かどうかはわからない。一つの手であるのは間違いない。療養所は療養以外でアーカイブの役割と新たな流行り病が発生したときの医療と人権への監視と調和の準備の役割が求められると私は考える。新たな病に対し悲劇を繰り返さない方へ舵を切る時期に来ている。

かわいそうランキングというか白饅頭マガジンを下地にした感想になりました。

参考記事


たぶん旅行の代金になります。