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冬の瀬戸内アート巡り

 念願の高松からのはじめての!!直島と豊島3泊4日、旅の記録と感じた事、など。ずっと下書きのまま1年が経っていた。旅のとき感じた感覚はだいぶ薄れてしまっていることに気づく。勿体ない。
 高松で見たものも、書きたいことはたくさんあったのだけれど、ひとまず書けていた分だけ、とりあえず、公開する。

 普段海岸から遠いから、毎日海沿いを歩き海が見えるだけですごい贅沢な休日に感じた。真ん中1泊は直島に泊まったが、早朝のだんだん明るくなる静かな海は最高だった。

朝の瀬戸内の海

 直島はベネッセ王国と、古い街並み残る地域と漁港まわりの3つで構成されている感じだった(超個人の主観)。確かにアートの島、唯一無二の島だ。ベネッセ王国などというと皮肉っぽいかもしれないが、島の一番高台にベネッセミュージアムがあるし、ベネッセアートサイトは基本的にベネッセの宿泊施設に作品があると言った方が正しい。宿泊客専用のリムジンバスが走り、宿泊しないと見えない施設もある。閉鎖的な高級アートの楽園みたいだ。ちょっとディストピアだ。宿泊してない人らは車やレンタル自転車でのベネッセサイトへの乗り入れは基本禁止で、各施設入場への事前個別予約が必要だ。自転車で乗り入れできないのはちょっと不便。歩くか、うまく時間を見ながらシャトルバスを利用するしかない。今回ちょっとオフシーズンで、ベネッセホテルに宿泊しているのは、欧米人のお客さんも多かった。

「ベネッセ王国」っぽい写真

 それでも、ベネッセアートサイトの作品と美術館施設はおもしろい。贅沢(建築とデザイン)を尽くした空間づくりにこだわっていることはよくわかるし、野外の植生管理もかなり手が入っているだろう。中でも地中美術は特に面白かった。

公式サイトより

 地中美術館を上から見た写真がガイド等に載っているが、来館者は実際どこからも、その眺めを見る事ができない。名の通り、地下に潜るだけで、建物の全貌があまり掴めない。展示室を繋ぐ階段は牢獄のような閉塞感と静けさだ。文明社会が進みすぎた未来のディストピアみたいな様相で不安にすらなる(人が少ないのも大きく影響する)。しかし、展示室は開放感があり、(撮影禁止)そのギャップがまた不思議な感覚にさせる。

もはや、ちょっと怖い階段。

 少し前(2021年末)に東京都現代美術館で行われたEugene Studioの展示を覚えているだろうか。アート好きからはどちらかというと否定的なコメントが多かった。作り込まれすぎなのか、作品がないような、あるのは空っぽの空間のようだった展示だ。地中美術館には、同じ圧倒的な空っぽ感があった。そうか…寒川裕人(Eugene Studio)さんもこういう空間を見て影響を受けたんだろう、と勝手に想像した。
 私は、過剰に空虚な空間は、盛大な茶番に参加しているようで大好きだ。まさにartificial hell(本の内容ではなく、タイトルの言葉のまま)だと思う。
 地中美術館は、議論を尽くしたいモネの絵の部屋がある。小さな白いタイルの床、角が丸い部屋、冬で温いため、お風呂を彷彿させる空間なのは面白い。しかし、自然光で見せるのがこだわりで天井ぐるりの縁が光を取り込む採光窓となっているが、日光が弱いと暗い。作品の色がよく見えない。気になるのは、正面の大作は真ん中で分割された2枚のガラス張りであることだ。作品の真ん中に線が入る。また、ガラスに光が反射する。最後に、白い空間に合わせた白い幅広な額が野暮ったい。現代的日見せるなら額なしか、細い方が圧倒的にスッキリ見せた方がよいだろう。晩年のモネの睡蓮は、ほぼ抽象画みたいで、色彩豊かで、本来ダイナミックで生々しい作品だ。しかし、ここ作品は閉じ込められてしまった、まさに「作品の墓場」のようであった。

公式サイトより

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豊島美術館前のの道路から見える景色

 ここからは2023年末に追記。直島旅行の中で最もよかったのは、豊島だ。豊島ももちろんベネッセアートサイトの管轄ではあるが、直島より小さい豊島は自然が残る静かな漁村だった。そこにある豊島美術館と心臓のアーカイブは、どちらも人間が絶滅しても、文明が消滅しても、静かに佇んでいるだろうものだった。

豊島美術館

 豊島美術館は極上の人工的な自然の心地よさだ。というと批判的かもしれないが、見えているものは水滴、空、風なのだが、すべて綿密に制御されている作品だ。これこそ見たいアート作品だ、と思った。人間が介入する自然、描く自然、模倣する自然、切り取る自然…結局自分はそんな作品が好きで、だから石とかも好きなんだけれど…。気持ちいいなぁと何時間でも過ごせそうだった。というより、時が止まっているようだった。本当にリラックスして無に心安らかになれる。無宗教だが、現代アート信者と自認している身としては、作品の中に、神聖な場、sanctuaryと感じたりするのだが、この場所も間違いなくその1つであった。また、訪れたい。絶対に。
 心臓のアーカイブには、ボルタンスキーの心臓音もアーカイブされていた。2年前に亡くなり、もうこの世にはいないボルタンスキーの心臓音を聞く感覚はなかなか言語化できないが、このアーカイブに残る人が亡くなった後も残っている実感こそが、この作品に強い意味を持つ。
 この旅での他のことが思い出になりつつある中で、豊島で過ごした時間、その時の感覚はまだまだ鮮明に覚えている。

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