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こんにちは。

こんにちは。午後もがんばりましょう。

薄い文字で前書きがされている。

こんにちは。午後もがんばりましょう。


ネットに登録すればいくらでも新しく作り直せる世の中で、一つのキャラクターを選んで突き通したがるのはやはり人のエゴや自己顕示欲なのかもしれない。
普通に、「自分として」頑張りたいから、名前を売る為にそこから離れないのも普通だ。

私は以前違う名前でnote記事を書いていたことがある。誰かの為ではなく、自分の欲求を満たす為のものであった。

丁度、コロナが始まった時期で人とのコミニュケーションを取ることがなくなっていた事もあり、誰かと繋がる、と言うことに飢えていたのも事実だ。


今年の一月、大好きな友人が亡くなった。そして一昨日、彼の私宛のお手紙が見つかった。


沢山言葉にして、友人に話をした。一人になる時間を設けた。そして泣いた。ずっと泣いた。ご飯を美味しく食べたし、水とコーヒーを交互に飲んだ。


それはとても美しい字で、美しい文章だった。


後悔はない。そう言い聞かせている。こんな世の中で、こんなネットの世界で出会えたこと、純粋な気持ちで接することができたこと。一度も会えなかったのがこんなにも悔しいとは知らなかった。こんなにも心の中で大切で、失くすことが辛いものだとは知らなかった。


今、世界は混沌としていて、悲しみや怒り、やるせなさで溢れている。

目を背けるのも間違っているが、自分と他人の境界線を見失う危険性もある。


誰もがとにかく心も身体も確認しながら生きていてほしい。


形として残さなくては居ても立っても居られないので、写真や音楽をしていたが、言葉の強さにも頼ることにした。





これは彼の訃報を聞いた数日後に発作的に作った曲だ。



ブルーライトは眼にも脳にも良くないので、たまに窓の外に目を向けて、なるべく遠くを見て、想像するといい。知らない道を歩いたり、自転車でふらふらするといい。





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