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般若・パワハラ・夢の跡

「オオサワ」という名前の人が苦手だ。
それは、中学・高校時代に大嫌いだった体育教師が「オオサワ」という名前だったことに起因している。いまだにオオサワ先生に叱られる夢を見ては、ハッと目が覚めることがある。
 
オオサワ先生(以下、オオサワという)は、当時50代後半くらいの(ように思う)女性だった。東北(岩手)なまりで口調はきつく、目はつり上がり口角は下がり、地肌の色に対して白すぎるファンデーションは、般若の面を思わせた。入学当初は「中学校にはこんな怖そうな先生がいるのか…」という暗澹たる気持ちになったが、「中学校の先生というのはそういうものなのかもしれない」と無理に自分を納得させようとしていた。
 
忘れもしない中1の最初の体育の授業でのオオサワの第一声は「いいか、あんたら。生理は病気じゃないんだ。生理だからって授業を見学するのは絶対に許さないよ💢」だった。そしてオオサワは、生徒たちが体操服にちゃんと記名しているかの点検を始めた。ブルマに名前を書き忘れていた私は、「え?名前書き忘れただけでこんなに叱られるの?」というほどひどく叱られた。放課後、ブルマに油性ペンで名前を書き、職員室にいるオオサワに見せに行き謝罪したが、「フンッ」と鼻であしらわれて終わった。これがきっかけかどうかわからないが、この後、私はオオサワにひどく嫌われ続けることになる。
 
オオサワは体育系のクラブに所属している、運動神経のよい活発な生徒が好きなようで、あからさまにえこひいきした。そういう活発な生徒と話すときは下の名で呼び、笑顔でボディタッチなども交え、とても楽しそうだった。一方、私はといえば、運動神経は普通、文化系のクラブに属し、成績はよいがおとなしい方であった。そういう生徒が嫌いでもいい。きつく当たられるとか、無視されるとか、授業で理不尽に叱られるとか、それだけならいい。しかしオオサワは、成績もあからさまにえこひいきした。
 
私の通っていた中高は、通知表で10段階評価を採用していた(相対評価か絶対評価かは不明)。運動神経が普通の私の評価は6だった。体育の実技テストは皆と同じようにこなしていたつもりだった。他の教科に比べて体育の成績の低さが気になり、クラスの友達に体育の成績を聞いてまわった。運動系クラブに所属する活発な生徒はみな10、私と同じくらいの運動神経の生徒で8、脚に障害のあるキノシタさんで7だった。
 
教師たるもの、ただ単にその生徒が「嫌い」という理由だけで、不当に成績を低くつけてよいはずがない。が、私にはどうしようもできない。オオサワが「あんたはどんくさいから、あんたの成績は『6』なんだよ!」と思えば、「6」でしかないのだ。親や友達、他の先生に相談したところで、オオサワの理不尽さは証明できないし、通知表の評価が変わるわけでもないので、ずっと一人でもやもやしていた。
 
中1、中2と体育の授業はオオサワが受け持ちだったので、この2年間はずっと、どんなに周りの皆と同じことができていても、体育の成績は6だった。
 
中3になり、体育はヨシムラ先生の受け持ちになった。ヨシムラ先生もオオサワと同じくらいの年齢の女性であったが、生徒皆に平等に接してくれていたように思う。高1もヨシムラ先生が引き続き受け持ってくれた。中3、高1の体育の成績は8~9であった。これが正当な評価だ。そう確信した。
 
高2になり、またもやオオサワとかかわることになった。今度は保健体育の担当だった。実技試験はない。筆記試験だけで成績をつけられるなら、絶対に定期試験で高得点を取って、オオサワが通知表にどんな評価をするのか確認したい。そういう思いで、保健体育の定期試験は、教科書を一言一句丸暗記するほど徹底的に勉強して臨んだ。授業でも絶対に私を当てない、見ない、話しかけないなど、徹底的にオオサワに無視をされたが気にしなかった。保健体育の試験は絶対に高得点を取ってやるという気持ちしかなかった。
 
1学期の定期試験の成績は90点台後半だった。
1学期の終業式の日、通知表の保健体育の欄を真っ先に確認した。成績は10だった。オオサワが私に頭を下げた瞬間である。
 
2学期も必死に勉強した。2学期の定期試験の成績も90点台後半だった。2学期の終業式の日も、通知表の保健体育の欄を真っ先に確認した。成績は10だった。オオサワが私にひざまづいた瞬間である。
 
3学期はますます勉強した。大学受験に全く関係のない保健体育の勉強に力を入れているのは自分でもあほらしいと思ったが、それほどオオサワに負けたくない気持ちが強かった。
 
そしてとうとう、期末試験で満点を取った。成績は10だった。当然だ。オオサワが私に土下座した瞬間だった。
 
高3になり、オオサワとの接点は無くなった。卒業式の日には、せめて挨拶くらいはしようかと近づいたところ、私に気づいてかどうかわからないが、避けられた。オオサワは、体育会系の活発な生徒たちに囲まれて、一緒に写真を撮ったり花束を渡されたりして、たいそうご満悦のご様子であった。
 
卒業以来、オオサワには全く会っていないが、あの白浮きしたファンデーションをべったりと塗った般若のような意地悪な顔は、今でも鮮明に覚えている。先に述べたとおり、今でも「オオサワ」という名前の人に非常に苦手意識を持ってしまうし、今でもオオサワに叱られる夢を見るのは、立派なPTSDである。それに加え、「生理は病気じゃないから体育を見学するな」と言ったり、特定の生徒を無視したり成績を不当に低くつけるといった行為は、当時はそういった概念はなかったが立派なパワハラといえるので、それについて慰謝料を求めたいほどである。といっても、もはや時効でできはしないが。
 
高校を卒業して数十年経つので、もしかしたら現在、オオサワはすでにこの世にいないかもしれない。そう考えてみても全く悲しくはない。ただ、ふたつだけ、オオサワに聞いてみたいことがある。「私のどこがそんなに気に入らなかったのですか」。あと、「その白すぎるファンデーションはどこのブランドの何番のものですか?」と。
 

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