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野に咲く花のように

私の母の実家は、宮崎県北部で旅館を営んでいる。
幼い頃から大学生頃まで、毎年、夏休みは母と一緒にそこに行き、2週間ほど、いとこや親戚たちと楽しく過ごしていた。
 
普通ならば、夜は親に「早く寝なさい」と言われるところだが、夏休みということもあってそんなことを言われることもなく、宿題もせず好き放題遊んだり夜更かしをしていた。夜中にカブトムシやクワガタを獲りに連れて行ってもらったり(木の幹を蹴ると、上からドサドサとカブトムシらが落ちてきた)川遊びをしたり、その時は何も思わなかったが、今思えば、それらは普段の生活からは得られない貴重な経験だった。
 
そんな中でもひときわ楽しみだったのが、あるお店のおでんを食べることだった。その店の名前は「小春」という。純粋なおでん屋なのか、居酒屋のメニューのひとつとしておでんを出していたのかはわからないが、山姥ライクなビジュアルのババアが一人で切り盛りしているボロい店だった。当時、テイクアウトという概念があったかどうかわからないが、鍋を持って行って好きな具を言うと、小春のババアが鍋に入れてくれた。持って帰った鍋のおでんを、みんなでワイワイ言いながら食べていた。
 
小春のババアが作るおでんは、本当に美味しかった。鍋に味の素をひと瓶くらい放り込んでいるのではないかというくらいの中毒性のある旨味と、具への絶妙な味の染み加減は麻薬のようで、当時、食べログやぐるなびがあれば、投稿者全員が☆5つをつけただろう。もしかしたらミシュランでも☆を獲得できたかもしれない。それほどの味だった。
 
私が母の実家に滞在していたのはいつも夏だったので、小春のババアは、いつ見てもヨレヨレの白いシュミーズを着ていた。ブラジャーもしておらず、垂れた乳房と乳首も透けて見えていた。とんでもない露出狂である。それに加えて衝撃的だったのが、小春のババアはワキ毛の処理をしていなかったことである。シュミーズを着て乳を透けさせ、脇から縮れた毛のはみ出たババアが切り盛りする、絶品おでんを出す店。その筋のマニアにはたまらない店だろうが、一般人、ましてや私のような純粋な子供にとっては妖怪ハウスだ。おでんにワキ毛が混入したらどうするつもりなのだろうか(おそらく「気にするな」で終わる)。店内でワキ毛を露出する調理員がいる飲食店など、衛生面からもあり得ない。保健所の抜き打ち検査があれば、担当者は卒倒しかねないレベルである。
 
だが、そんなことが霞むくらい、小春のおでんは美味しかった。
死ぬ前に「何か食べたいものは?」と聞かれたら、きっと「小春のおでん」と答えるだろう。
 
ちなみに、ババアの本名は「小春」ではないらしいが、周辺の住民らは「小春のおばさん」と呼んでいた。その本名は杳として知れない。

誰もその名を知らないが、そこにきれいな花が咲く。

それでいいじゃないか。
そんなことを思いながら、小春おばさんの作るおでんの味を思い出し、郷愁にふける。
 

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