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喉仏の骨

今年の1月7日、父が亡くなった。
初めて体験する肉親の死に初めは混乱していたが、やがて悲しすぎて心が痛いという感覚を味わった。そのうちその感覚も鈍磨していき、もはや何も感じない「無」になった。肩こりがひどすぎて逆に痛みを感じないような、10倍界王拳も100倍界王拳も、もはやくらう方は同じ痛みしか感じないんじゃないんだろうかとか、そんなことを考えた。

正月明け早々の出来事だったので、今年は一年はたっぷり「喪」を味わった。自分的今年の漢字は「喪」に決定。清水寺の貫主よろしくダイナミックな書道スタイルで「喪」と書きたい気分である。

父の葬儀では、私は喪主を務めた。もちろん初めての経験である。何をしていいのかさっぱりわからなかったが、人間、否応なしに何かをやらざるを得ない状況に置かれると意外と何でもできるものである。というか、葬儀屋とお寺さんに言われるがままに動いていたら、いつのまにか初七日まで終わっていたというのが正直なところだ。初七日でほっと一息、と言いたいところだったが、父の死亡にかかる役所での手続き関係、遺産(と呼べるほど大したものではないが)の整理などで数ヶ月かかった。私は法律事務所の事務局として20年ほど働いており、こういった手続きについてはプロフェッショナルであるので(ここで流れるスガシカオの『Progress』)、できるだけ最短最速最小のテで済ませることができたと自負している。だが、仕事は仕事だからできるのであり、自分の肉親の死に関連した事務処理をするのはあまり乗り気ではなかった。葬儀にまつわるあれこれでやることが多いのは、悲しさを紛らわせるためという説があるが本当かもしれない。

うちは浄土真宗本願寺派なので、そのしきたりに則って弔いをする。他の宗教のことを知らないのだが、浄土真宗本願寺派では、お墓に遺骨を納骨するのとは別に、喉仏の骨を大谷本廟に納骨するならわしがあるとのことで、先日、行ってきた。喉仏の骨は仏様が合掌して座禅を組んでいるように見えるから大事な骨らしい?とかなんとか。父のお骨上げのときは精神的に参っていて、本当はお骨を見ることも拾うこともきつかったのだが、なんとかやり遂げた。当然、喉仏の骨の形状を確認することはできなかった。その後も、なんとなく見ることができないでいる。

花噴水

大谷本廟。きれいなところである。初めて来たが妙に落ち着く。

うちの菩提寺の檀家さんで、今年家族を亡くされた方々がまとめて納骨をするらしい。ロビーでお寺さんの近くに座っていると、その日納骨をする人たちが30名ほど集まってきた。「みんな大事な家族を今年亡くされた人たちなんだな」と思うと、皆でスクラムを組んで励ましあいたくなった。

お寺さんに誘導され、ロビーから礼拝堂に向かう。「れいはいどう」ではなく「らいはいどう」と読むらしい。納骨法要に備え、輪袈裟と経本(浄土真宗グッズ)を買うようにお寺さんに言われたので用意したが、特段無くてもよかったようだ。

礼拝堂

礼拝堂にてお寺さんの読経が始まると 参加者皆一斉にお経を読み始めたので驚いた。「え???」檀家さんらは高齢の方が多かったが、あのお経の独特な節回しを皆できるのがすごい。なんなら暗唱している人もいる。一体どこで練習をしているのか。私なぞ経本のどこを読んでいるのかわからず、ずっと読んでいるフリをしながら、どうしたら家で飼育している黒出目金が他の金魚をいじめないようになるか、もし自分K-POPアイドルとして好きな事務所からデビューできるとしたらやっぱりHYBEかな、等考えていた。

読経が終わり、お寺さんに「先ほどお配りした冊子の35頁を見てください」と事前に配布された封筒の中にあった冊子『拝読 浄土真宗のみ教え』を開くよう言われた。お寺さんが読み始めた。

かならず再び会う

 先立った方々を思えば、在りし日の面影を懐かしく思うとともに、言いようのない寂しさを覚える。
 親鸞聖人は、お弟子に宛てた手紙の中で仰せになる。

 浄土にてかならずかならずまちまゐらせ候ふべし

 再び会うことのできる世界がそこにある。今ここで、同じ信心をいただき、ともに阿弥陀如来の救いにあずかっている。だからこそ、かならず浄土に生まれて再び会える確かさを、今よろこぶことができる。
 本願の教えに出会えた時、今ここで救われ、再び会うことのできる世界が恵まれる。


こんなん泣くに決まってる。父が亡くなって1年近く経ってもまだ泣けるんだ。そんな自分に驚く。ハンカチを持ってきておいてよかった。

ひとの死は悲しいが、省みると、私ももう人生の折り返し地点はとっくに過ぎている(と思う)。ひとの死を悲しんでばかりいられない。できるだけ悔いのないように人生を終えたい、何かやり遂げたいと気持ちばかり焦るが、仕事や家族のことに追われながら、単調な日々の繰り返しである。このままこうやってどんどん体も脳も衰えていくのか。死にゆく父は何を思ったのか。

納骨堂に喉仏の骨を預け終えたので、帰ることにした。
ロビーにて、父親らしき男性と歩いていた小学校高学年くらいの男の子が「ぼく屁がでるー。ギャハハ―!」と言いながら本当に「ブー」という音を立てて歩いていて、何もかもどうでもよくなった。


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