気高き存在
2022年11月23日。朝、集積所にゴミを出そうと玄関を出て外に出たついでに庭の木々の様子を見ようと小林旭ライクな歩き方でうろついていると、思わず「ヒッ!」と声にならない声がでた。目の前に大きなクモが現れたのである。正確にいえば、クモはじっとしているので、私がクモのところに歩いていったということになる。大きさは私の手のひらより少し小さいくらいか。ほうきで巣を取り払ってからクモを殺るか、クモ専用の殺虫剤を取ってきて噴きかけるか…瞬時に脳内で2択がよぎったが、ある程度の大きさのクモの死骸を処理するのも気持ちが悪いし、「飛びかってきたらきたらどうしよう」「噛みつかれたらどうしよう」などと考えるうち、特に害をもたらされているわけではないので「まあ、放っておいてもいいか」という結論に至った。
翌朝。昨日見た時より、明らかに網が増えている。一日でこんなに張れるのか。網を張っている木と木の間を巻尺で測ると約1.5m。体の何倍も大きな巣をたったひとりで張ったのか。感心した。何と言う種類のクモか、Googleの画像検索で調べると「ジョロウグモ」と出てきた。
調べると、ジョロウグモのオスは体が小さいので、うちの庭にいるの大きさの個体はメスだということがわかった。クモは苦手な存在であったが、うちの庭に巣を張ってくれたのも何かの縁。このクモに愛着と興味がわいてきた。
メスのジョロウグモは秋ごろに産卵し、寒さを迎える12月頃には死んでしまうらしい。もうすぐお別れではないか!ならば最期の時まで見届けようぞ。私は、このクモに「タツ子」と名付けて見守ることにした。
タツ子の巣にはたんぽぽの綿毛のようなもの、土の粒ようなもの、小さなホコリようなもの、小さな羽虫がいっぱいついている。タツ子の栄養は足りているだろうか。エサが獲れないなら私が網に虫をくっつけてやろうかと思ったりもしたが、ジョロウグモは生きた獲物しか食べないらしいし、人間が捕まえた虫を恵んでもらうのはタツ子的にプライドが傷つくのではないかと思ってやめにした。
毎日タツ子の生存確認をすることが日課になっている。あまりにも動かないので、指で巣をつんつんとしてみる。そうすると動くので生きていることがわかる。活発に動き回ることもあった。
タツ子は、朝の寒さ、夜の暗さ、雨の厳しさ、風の冷たさ、孤独にもうろたえず狩りにも行かず逃げも隠れもせず、ただただひたすらじーーーっと巣に獲物がかかるのを待っているのである。なんとも気高き孤高の存在ではないか。初めにタツ子を殺してしまおうと思ってしまった自分を恥じる。
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大学時代に授業で読んだE・B・ホワイトの『Charlotte's Web』という作品を思い出さずにはいられない。邦題は『シャーロットのおくりもの』であり、世界的に有名な児童文学作品である(※ちなみにCHARAの曲『シャーロットの贈り物』の歌詞はこの物語とは無関係のようである)。
シャーロットというのはクモである。この作品はクモが主人公になっている珍しい作品である。ざっくり言うと、クモとブタと少女が種を越えて織りなす、友情、命の大切さ等を描いた物語である。私は、このシャーロットから感じる賢さ、気高さと同じものをタツ子から感じている。
タツ子に近づいて、その模様をまじまじと見る。そしてタツ子の張った巣の造形をまじまと見る。なんと美しいのだろう。「神様って本当にいるんだな」と思わざるを得ない。クモの種類なのか個体差なのかわからないが、たまに網目がガタガタでへたくそな仕上がりの巣を張るクモを見ると、不器用な自分と同じものを感じて親しみがわく。
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最後に、第55回(2014年)「自然科学観察コンクール」で文部科学大臣賞を受賞した山口加廉さん(当時小学4年生)の研究成果をご紹介したい。
小学4年生の女子というとクモや虫の類は苦手そうなものであるが、山口さんは1年に渡り、度重なる実験と詳細な観察を重ね、この研究を完成させた。山口さん、あなた本当に小学生?もしかして大学生のお兄さんとかに手伝ってもら…(以下、自主規制)。小学生でこのチョモランマ・レベル。山口さんの将来が楽しみでしかない。いずれクモ研究の専門家になって、白衣にクモの帽子をかぶってメディア等で活躍される日が来るかもしれない。心から応援したいし、クモに興味を持ってくれて「ありがとう」と言いたい(謎目線)。
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