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朝から、母親を刺した14歳少女のニュースを見た。
全部は見ていないがヤフコメには、我が子は大丈夫と過信せず子育て頑張ろうみたいな趣旨のものが多かった。
私がもしヤフコメを書くなら、その子と同じ頃、私も母親をいつか殺そうと虎視眈々と狙っていた時期があると書くだろう。中学を出て働き始めた頃、無性に腹が立ちテレビのコードで首を絞めているところを、私を可愛がってくれていた勤務先の社長の娘さんが止めた。
彼女は、その後、20歳の成人式を終えた後、不慮の事故で亡くなった。葬儀に参列し、彼女との短くて濃い思い出を回想していて、あの時、彼女が止めてくれて良かったと思うかなと…考えていたけど、それは無かった。
まだ事後ほんの数年だったし、そんなものなのかなと腹の中で落としつつ、その後、結婚した時も、子供を産んだ時も、誰か何かの節目、昔の思い出を浮かべるタイミングごとに毎度毎度考えてみた。しかし、これまで一向に変わることなく。
あの時、彼女に止められなかったら。
そう思うだけ。薄々は、気付いてる。やってれば良かった。と続くことを。今なんて、姿を見る毎に向きを変え「早くいなくなれば良いのに」と呟く。しかし、自分自身、歳をとった今なら分かる。
手を出したら負け。
私ならもっと賢く腹いせが出来る。上手く苦しめられる。私の気が済むまで辛い思いをさせてやりたい。もう私は辛い思いはしない…私が、された分以上に辛い思いをさせてやる。
これが、私の根っこ。「恨み」なのだ。私にとって私の母親は毒親などとどこかコミカルな軽い言葉で片付くものじゃない。この世から一切を消してやりたい存在。私の知らない誰かの脳裏にいる母でさえも憎い。
…しかし、だとすると、血のつながった自分をどうするか。
こういう支離滅裂に直面出来る程度には、冷静である。いざとなれば連絡を取り合えるケアマネージャーさんやソーシャルワーカーさん、空き部屋をおいているから非常時には一時預かりをしてやれるよ。と声掛け下さる、義母の利用する施設もある。
信頼を受けて、誠実に生きる。母に出来ないことを身につけるのは、復讐の一つ。とても歪んでいる自覚があるからこそ、ここに書くことを始めた。
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