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ジャンピング・ジョニー(Chapter2-Section6)

少しだけ、おっぱいの続きを書く。

 明治時代と現代社会の「おっぱい」の価値観は、明治初期に来日したイザベラ・バード(英:女性冒険家)の書籍を読むと知ることができる。

 彼女は「なぜ、畜産しているのに牛乳を飲まないのか?」と質問に、当時の日本人は「それは、子牛が飲むものだろう?」と失笑した。
 赤子が飲むもので、男性が戯れるものではない。ここに文化差があって、現代社会とは「分別」の意識が異なる。世界中で大流行した春画も、陰部は詳細に描写されるが、胸は手を抜いてて適当に描かれている。
 
 おっぱい文化は、1970年代のグラビアが始まりだと考えている。80年代には巨乳アイドルが流行った。
 いつの時代も、仕掛け人(この場合は、イエローキャブ)がいる。おっぱいがが儲かると考えた人は、そこへ投資した。おっぱい消費が増えると類似ビジネスが増えた。それが一定の規模になって市場が形成され、おっぱい産業が生まれた。
 
 「支払ったお金が、誰かの収入になる」が経済の原則。「おっぱい」の支出は、胸をさらけ出す女性の収入にもなった。
 財やサービスの対価を支払うことで、欲望を満たせるのが資本主義。計画経済の失敗は、この人間の欲望を甘くみ過ぎていた事に起因する。

 おっぱい信者は、二次元から三次元に至るまで、世界を巨乳で溢れさせる陰謀を企てているかもしれない。
 女性も豊胸を求めるようになり、1カップ20万円以上の手術費を支払ってそれを手にする。日本の美容整形市場は、約4,000億円にも膨れ上がっている。そんな歪んだ美意識を逆手に高須クリニックは儲かっているのだから、すごい世の中になったものだとしか言いようがない。

 資本主義の魔力は、身長も伸ばす。これは、15cmで75000ドル(約820万円)の費用がかかる。ちなみに地雷は、1つ3ドルで買える。

 さて、物語を戻そう。
 そろそろ貯金が底を尽きそうになったので、シルバアクセの仕事と行徳のシェアハウスに別れを告げる事した。
 仕事を探していた矢先に、何度か会った「ゲリー」と名乗るカナダ人から「イタリア人が協力者を探しているんだが、話だけ聞いて貰えないか?」との打診があった。
 
 ゲリーは新宿二丁目近辺のゲストハウスに住んでいて、「ミッシェル」と名乗る初老のイタリア人も同じ宿にいた。
 革ジャン姿が妙に板についていて、「ハーレーが好きだ」と言われても誰も疑わないだろう。

 「商材を持っていて、これを販売する協力者を探している」と、ボストンバックから、厚紙にピエロが描かれた玩具を取り出した。

 自信ありげに「これは、ジャンピング・ジョニーと言う。1つ500円で売れる。大量に持っている。半分の取り分をやる。お前も一儲けできるぞ!」と在庫の山を見せながら力説し始めた。

 原価10円じゃなかろうか?と思えるほど、クオリティーが低かった。ピエロの絵だって可愛くない。「こんなの売れるか?」と思わず声に出してしまった。
 即答で「協力できない」と言うと、「こんな天才的な着想の商材に巡り会うチャンスはないぞ。こんな幸運は、人生に何度も起こらないぞ!」と彼は引き下がらなかった。

 「これ、どうやって売るつもりなの?」と尋ねると「ふふふ。見て驚くなよ!」と不敵な笑みで、包装袋から取り出し実演の準備にとりかかった。

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