#withyellowの課題と今後に望むこと - 一個人の目線から

はじめに

本記事は、前記事「和装女子目線で振り返る#withyellowイベント」で、文章量の都合上削った内容になります。
この記事が広く読まれて、皆さまの議論の叩き台となることを望みます。

「抑止力」としての #withyellow 運動

今回、良くも悪くも #withyellow 運動が特に注目されていたのは、痴漢防止キャンペーンにありがちな「被害者の自衛を促す」パターンではなく、「抑止力」を伴った、つまり、「そもそも痴漢をさせない空気をつくる」運動だったことが影響しているのではないかと個人的には考えています。
これまでの痴漢被害防止キャンペーンが対処療法的、つまり「被害を受けたら相談しよう」という主旨のパターンであったことを考えると、それらとは一線を画したものであると言えるでしょう。

それゆえに、(運動の実際のやり方はともかく、)画期的な発想の運動であると個人的には思います。
それと同時に、持続させるためには、主催者と賛同者の慎重さと丁寧さが必要なキャンペーンであるとも思いました。

私が感じた  #withyellow  の課題

前記事や、そもそも私がこの運動に賛同していることに対して、疑問の声も寄せられました。

主には、

(1) メディア及び主催者は「黄色を身につけている人は、皆が賛同者である」とミスリードするような表現をやめてほしい
(2) 黄色を身につける人にだって事情があることを理解してほしい
(3) 賛同者は #withyellow とひと目でわかるグッズをつけて活動してほしい

というようなご意見です。

「黄色」は本当に「連帯の証」か?

(1)に関しては、私が確認できた大手の公式報道では、ミスリードであると確信できたものはほぼないので言及を避けたいと思いますが、SNS上では一般ユーザーの「黄色はすべて、運動に連帯している証」であるかのような投稿も目立った印象を受けます。
メディアや主催者の問題というよりも、賛同する人々の意識の問題なのかもしれません。

個人的には、前記事で触れたように「賛同者らしい格好」には疑問も残ります。
私は「助けを求められたら応じるのが道徳的に正しい」と信じていますし、助けに応じるのが警察官や鉄道員ではない、「一般人」である以上、服装は何だってよい(服装を理由に、被害者からの助けを無視するのは正しくない)という個人的な考えがあるからです。これは、痴漢に限らず、一般的な事件事故でも同様のことが言えると思っています。

そもそも、特定の色が「犯罪抑止のテーマカラー」に選ばれるに至った経緯には、私たち一般市民が被害を見て見ぬふりをしてきた背景も影響しています。見て見ぬふりの習慣を改めずして運動をやめるのは、不誠実であるように私は感じます。
一番よいのは、特定の色をテーマカラーにする必要もないくらい「痴漢は犯罪である」という意識が浸透し、万が一被害が発生しても自然と周囲が被害者に協力する社会になり、運動そのものが不要になることであると考えます。

好んで黄色を身につける人にも事情がある

(2)に関しては、私のもとに寄せられた事例をひとつご紹介したいと思います。黄色を趣味・心の支えとして身につける、Xさん(仮名)のお話です。
以下、この記事をご覧の皆さまにも話の流れがわかりやすいように、対談風に編集した紙面をお届けします。

富岡:
Xさんには、黄色を身につける・つけない以前に、痴漢等の被害の助けを求められてても助けづらいご事情がおありでしたね。詳しく伺ってもよろしいでしょうか?

Xさん:
助けを求められても、持病があり難しいです。
現状では生命に関わるほど重くはありませんが、不安障害なので急に声をかけられるとパニック発作を起こして倒れる可能性があります。持病が悪化すると仕事に行けなくなり、休職・退職の恐れもあります。

富岡:
パニック障害については、厚労省のこちらのWebページ「みんなのメンタルヘルス:パニック障害・不安障害」も参考にしていただけると幸いです。

このパニック発作は、死んでしまうのではないかと思うほど強くて、自分ではコントロールできないと感じます。そのため、また発作が起きたらどうしようかと不安になり、発作が起きやすい場所や状況を避けるようになります。とくに、電車やエレベーターの中など閉じられた空間では「逃げられない」と感じて、外出ができなくなってしまうことがあります。

この文章は先に上げたリンクのものですが、パニック障害は発作時に強い恐怖を伴うものであり、「発作が起こるかもしれないけれど、通勤通学のためには仕方がない」と個人が訓練して辛うじて公共交通機関に乗れているというケースも少なくありません。
「命に別状ないならよい」「ちょっと休んでまた通勤通学すればよい」という程度の問題ではないことを、ご理解ください。

富岡:
これらの事情もあり、黄色を公共交通機関で身につけるのが怖くなって、今までできた「黄色を身につけること」が出来なくなって苦痛である、というのも事前に伺っております。
Xさんにとって、黄色とはどんな存在なのですか?

Xさん:
好きな黄色のグッズを持つことは安心感もあり、ただ好きだからファッションとして持っているだけでなく、辛いときは心の支えとして黄色のもふもふマスコットもつけていました。(【参考】ぬいぐるみ療法
今一番のお気に入りが真っ黄色のバッグだったのですが持てる状況ではなく、先週末は白いバッグに荷物を入れ替え黄色のキャラクターバッチも外し涙が出ました。
近くで被害を見れば助けたい気持ちはありますが、「私が助けます!見守っています!痴漢反対!」と電車内でアピールする気はありません。
何気なく黄色を持つだけでそう思う人が居ると思うと怖くて黄色を持てなくなりました。
活動をなさるなら、賛同している人以外を巻き込まないよう、賛同者だと一目でわかるグッズ制作やルールを変えてほしいです。

#withyellow  公式グッズに寄せる期待と不安

(2)のような事例もあるので、「主催者が公式グッズをつくればよい」という、(3)のようなお声も寄せられました。
私は一介の賛同者にすぎませんので実際に公式グッズを作成することはできませんが、公式グッズができることのメリット、デメリットを一個人の視点で考えてみたいと思います。

≪メリット≫
・賛同者が可視化され、痴漢被害を懸念する人が安心感を得やすくなる
・グッズの形態や購入方法によっては、加害者が類似品を持てなくなる
≪デメリット≫
・賛同者が乗り合わせない時間帯・路線が加害者に可視化されてしまう
・グッズを持っていないことが、さらなる傍観者効果につながるのではないか
→「だから、やっぱり、グッズではなくテーマカラーを!」ではなく、より多くのひとが賛同し、参加できる仕組みや企画作りが必要なのではないか?

おわりに

運動について思うところがあるのは、私だけではないと思っております。
#withyellow 運動の主催者であるキュカさまにおかれましては、ぜひ、色々な意見やアイデアを運動に反映するための試みを要望したく思います。
具体的には、活動にあたっての意見交換をする座談会のようなものの開催や、オンライン上のコミュニティの設置を要望したく思います。

私がこのツイートで想定している「誰もが」「好きな格好で」には、もちろん痴漢の標的にされがちな人も含んでいるのですが、#withyellow 賛同者やファッション・心の支えとして特定の色を好んでいる人も含まれています。

2020年も、立春を過ぎました。
これからは日々暖かくなり、コートを脱いだ人々が様々な色の服で外出する季節になります。街に彩りがあふれる前に、#withyellow の主催者および賛同者は、ファッション・心の支えとして特定の色を好んでいる人ともお互い気持ちよく過ごせるために、多くの人が運動のあり方について考えるべきだと私は思います。